糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『刑事フォイル 差別の構図』感想

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まずはひさしぶりにフォイルの感想が書けて嬉しい(4/7放送分は、残念ながら見逃してしまいましたが)。

最初のシリーズの頃と比べたら、みんな少しずつ年を取っています。でもフォイルの明晰な推理は変わりません。

 

 あらすじ&感想

このドラマでは差別について何度か描かれてきました。『ドイツ人の女』や『疑惑の地図』などのドイツ人に対する憎悪。そして、『臆病者』などでドイツ人が迫害していたユダヤ人に対する差別。今回は、黒人に対する差別が描かれています。

 

サムのいるゲストハウスで生活する人々。

ゲストハウスの経営者、アダム・ウェインライト。なんというか、少し押しの弱い青年です。

黒人のアメリカ兵ゲイブとの間に女の子を生んだマンディ。赤ちゃんのミルク代さえもないと自分の母親に泣きつきますが、冷たくあしらわれてしまいます。黒人とつきあうことは、白人社会からも黒人社会からも排除されることを意味します。とはいえ、実の娘にそこまでの仕打ちをするとは、と思ってしまうのですが、マンディの行為は当時、それほど度を越した行動とされていたのだろうと思います。

戦争で腕を失くしたヘインズ。実は、彼はある犯罪に手を染めているのですが、腕がないことで疑いが自分に向かないようにしていました。

ヘインズに冷たくあたる女性、ルーシー。赤ちゃんのことでマンディに文句を言うヘインズから、マンディをかばってくれます。 

 

フォイルが警視正として参加する会議では、 衝突が続く白人兵と黒人兵に対する対策として、アメリカ軍は一時的に人種を分ける提案をしますが、

「だからこそ我々が何を目指して戦ったかを思い出さなければ。弾圧からの解放、そうでしょう?」

とフォイルは反対します。

 

そんなとき、マンディの元恋人でボクサーのトミー・ダガンがヘイスティングズに戻ってきます。

トミーは兵役を拒否したことで、街の人たちによく思われていません。フォイルのいるパブに偶然入ってきたトミーに、パブの主人はトミーに売るビールはないと言います。

 「ナチスを止めなければならないと思わなかったのか?」

と問うフォイルに、トミーは、先の大戦で戦った父は大戦後に自殺、そのあと母も自殺したことを話し、

「何も変わってない。同じ苦しみがまた今回も繰り返される。もし誰もが自分は戦わないって言えば、ヒトラーだって軍隊を持てず人殺しも起きない。」

と答えます。

 

会議では、白人兵と黒人兵を分ける措置について、決が採られます。流れがどちらに向かっているのかが明白に見えるとき、その反対の意見を言うのは難しいですが、フォイルだけが反対に手を挙げます。

 

ピーターはマンディのことが忘れられず、娘を養子に出して自分と結婚しようとマンディに伝えますが、マンディは取り合いません。

ゲイブと結婚したら、ゲイブと娘が無事ではすまない、娘を養子に出してピーターと結婚した方がいいのかもいれないと泣くマンディを元気づけようと、サムはマンディをダンスパーティーに誘います。パーティーに来合わせたゲイブはマンディを見つけ、一緒に踊ろうと声をかけます。2人はダンスを始めますが、白人兵たちが2人を取りかこみ、不穏な雰囲気となります。このあとの2人の行く先を暗示しているようです。

 

ゲイブはマンディに、結婚してアメリカで新しい生活を始めようと言います。不安はありますが、マンディはゲイブについていくと伝えます。

 ゲイブとマンディは、結婚とアメリカ行きの許可を得るため、ウェスカー少佐に会いに行きます。ウェスカー少佐はマンディに

アメリカの白人社会から排除されることになっても?同様に黒人社会からも?」

と問います。ゲイブと娘以外のすべてを捨てる覚悟でなければ、アメリカへ行くことはできないのです。

 

釣りへ行こうと車で森を通ったフォイルは、ダンスパーティーでマンディと踊ったことが原因で白人兵に襲われて倒れていたゲイブを見つけ、基地へ送り届けます。釣りの帰り、魚をサムへおすそわけしたフォイルは、サムから夕食に招かれます。

ゲストハウスでマンディ、ゲイブと2人の赤ちゃんが一緒にいるのを見たフォイルは目を細めます。こういう幸せな光景のための戦争だったのだと思ったのかもしれません。

 

街でマンディを見かけたアメリカ軍のカルフーン軍曹は、アメリカで起きた黒人へのリンチがどんなにひどかったかをマンデイに話します。

 その夜、カルフーン軍曹が仕切っている賭けボクシングが行われていました。ピーターはその試合に出ていました。そこへ入ってきたゲイブたち黒人兵と白人兵の間にいざこざが起きて殴り合いとなり、ゲイブたちは逃げ出しました。

その頃ちょうど、アメリカ兵たちの給料が配達されていました。配達したアメリカ兵は背後から誰かに銃を押しつけられて脅され、給料を強奪されました。

逃げ出したゲイブを白人兵たちが追いますが、ゲイブは見つかりません。ゲイブの代わりに彼らが森で見つけたのは、マンディの死体でした。

 フォイルは捜査を始めます。

 

ウェスカー少佐に話を聞くフォイル。

「戦争は楽しかったし終わってほしくなかった。」

と言うウェスカー少佐と彼を見るフォイルの目は、イギリスとアメリカの立場の違いを感じさせます。

 

ゲイブは、カルフーン軍曹に娘のことで脅迫され、給料強奪とマンディ殺害について嘘の自白をします。

 

フォイルはヘインズが本名を偽り、戦争成金を罰するために強盗していたことを突き止めます。同じゲストハウスのルーシーが実はヘインズの妻で共犯者でした。

アメリカ軍の給料強奪は、強盗していることをカルフーン軍曹に知られた2人が、強盗をばらすと脅されてやったことでした。しかしマンディ殺害は2人の犯行ではありません。

フォイルはカルフーン軍曹と会い、給料を強奪し、マンディにゲイブとの結婚のことで力を貸すと言って性的な行為を要求した上に殺害し、ゲイブには娘に危害を加えると言って脅して自白させたのではないかと迫ります。カルフーン軍曹は否定します。

 

フォイルはウェスカー少佐に会いに行きます。マンデイの殺害はウェスカー少佐の犯行でした。

ウェスカー少佐とカルフーン軍曹は、ボクシングの試合中に白人兵と黒人兵との間に騒ぎを起こさせ、ヘインズたちを使って給料を強奪し、それをゲイブの犯行だとすることを計画していたのです。ゲイブとの結婚を認めてもらおうとウェスカー少佐の部屋を訪ねたマンディはそのことを知ってしまい、彼に殺害されてしまいました。

 

 皆が幸せになるためにしてきた戦争は、本当に皆が望んでいたものをもたらしたのでしょうか。

 

  『刑事フォイル』について書いた記事

 

umisoma.hatenablog.com

  

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『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』感想

ゾンビって、私はあまり接点がないのだけど。

街中を歩いていて、ゾンビが押し寄せてくるところを想像してみる。たとえば、満員電車に乗っているのが全員ゾンビだったら。高層ビルで上下階からゾンビが押し寄せてきたら。あああ。到底逃げられない。

www.nhk.or.jp

ゾンビの何が怖いって、噛まれたらゾンビになる=自分ではない何か、自分ではコントロールできない何かになってしまうこと。自分の意志とは関係なく、灰色の顔で白目をむき、口からはどろっとした緑の液体を吐き出し、カクカクと歩きながら人に噛みつこうとする。

 

明日もあんたたちがあんたたちでいなくちゃいけないっていう理由があるなら、無理やりにでも自分を奮い立たせてそこに進むべきじゃないのかい?

異色のドラマだった。おもしろいのか、おもしろくないのかも、よくわからないような。でも最後まで見てしまった。

 

私たちは、私たちであるべきだ。私たちは、私たちだったのだから。

「自分が自分でいる」というのは、そもそも何なんだろう。人間とゾンビの違いを考えると、自分の意志で自分をコントロールできるということだ。自分をコントロールできるのが人間、でもときどきそれを失う。それは、自分をコントロールするには意志の強さが必要で、その強さを持ち続けることはしんどくて、例えば自分の中の怒りとかまわりの雰囲気とか他人の思惑に流されてしまった方が、たいていは楽だから。そのときは。

 

最後の最後、最強の新薬が出てきて、みんなゾンビから人間に戻ってハッピーエンド、というのを予想していたんだけど、そうじゃなかった。彼らは隔離された町でゾンビとして暮らしている。希望はある、でも問題は解決していない。それは現実と同じ。

解決しない家族の定義(『獣になれない私たち』の感想を少し含む)

あけましておめでとうございます。

 

年末年始、録画してあったドラマ『獣になれない私たち』を見ながら、ぽつぽつと考えていた家族の定義について、改めて考えた。

ぽつぽつ考えさせられていた原因は、昨年から習い始めた英会話でときどき遭遇する「あなたは家族はなん人ですか?」という質問に毎回戸惑うからだ。

一般的に家族と言われて頭に浮かぶのは、親子の組み合わせだろうと思う。自分が子どもだったときは、親、自分、きょうだいがいれば彼らを含めて家族だと認識する。大人になって結婚したら、配偶者や自分の子がメインの家族にシフトするのだろう。

この質問は、結婚していれば「夫と娘が1人」というような答えになると思うし、結婚していなくて子どももいない人は、自分が子どものときに自分のまわりにいた家族(父、母、姉、弟など)を答えるのが通常だと思う。

この考え方でいくと、立場によって家族の範囲がずれてくる。例えば、自分が未婚で、既婚のきょうだいがいる場合、そのきょうだいが答える家族には自分が入っていないのに、自分の答えにはきょうだいが入っていることになる。この範囲をずらさないためには、ある程度の年齢になって配偶者も子どももいなければ、「家族はいません」と答えるべきなんだろうか。

「How many people are in your family?」でこんなことを考えていては会話が止まってしまうので、自己紹介の一環としてたたっと駆け抜けていいところなんだろうけれども。私にとって、正しい答えは何だろう。

 

『獣になれない私たち』で、恒星(松田龍平さん)が、行方不明だった兄と再会し、兄をその妻子の元に連れていくシーンがあった。妻子はダメな兄を受け入れ、家族は再び一緒になる。家族の再生。それを見ながら、恒星は1人取り残される。

恒星にとって、兄は家族だけれど、兄にとっては、恒星はすでに失われた家族の一員なのかもしれない。先の質問を恒星に投げたら、彼はきっと「家族はいません」と答えるのだろう。

もうひとつ、ドラマの中で、晶(新垣結衣さん)が、別れた彼氏の元カノ朱里(黒木華さん)に

「ずーっと1人で生きていくの?」

と聞かれるシーンがあった。

 それに対して晶は

「1人なのかな?」

と答える。友達、同僚、元カレのお母さん、いろんな人と一緒にいる時間のひとつひとつを大切にしていけば、

 「生きていけるんじゃないかな。1人じゃない・・・んじゃないかな」

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。晶の言うように、ひとつひとつの関係を大事にしていけば、孤独を感じない生き方もできるのかもしれない。疑似家族を持つように。もしかしたら疑似家族は、1人世帯が増えた現代では増えていくかもしれない。晶が言うよりもっと密な疑似家族のコミュニティができたら、それもおもしろい。

 

家族は?の質問に対し、誰かが「夫と娘が1人」と言ったあとに「両親と・・・」と答えるときに違和感を感じるけれど、「家族はいません」と答えたとしてもそう感じるだろうと思う。この問題はきっと解決しない。

 

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2018年の終わりに諸行無常を思う

今年は、しんどい年だった。人間関係がうまくいかなかったことで、神経をすり減らし、常に疲れていて眠かった。それでもいくつかのいい出会いがあって、年末に近づくにつれて状況はよくなり、大晦日にたどり着くことができた。

 

ずっと見続けていた『クイーン・メアリー』の放送も終わり、つい先日、録画してあった最終回を見た。

人が彼女の人生に惹きつけられる理由は、彼女の情熱の強さではないかと思う。その情熱が彼女の人生を良い方へも悪い方へも導き、最後にはエリザベスに処刑されてその人生を終えることになった。

現在、ロンドンのウエストミンスター寺院でエリザベスの隣の部屋に眠るメアリー。どうか安らかな眠りでありますように。

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2017年3月に撮影。ウエストミンスター寺院前にて。

 

つい最近気づいたのだけれど、数年前と比べたら、自分のまわりにいる友達がガラッと変わっている。

昔から続いている友達もいるけれど、ここ何年かで知り合った人たちが多くなった。

10年前に「このメンバーとは一生つきあっていくと思う」と言ってくれた友達とも、いつのまにか会わなくなってしまった。いつかまた私たちの人生が交わることがあるのかはわからない。もしなくても、それは仕方のないこと。みんな変わっていくし、必要とする人も必要としてくれる人も変わっていくんだろう。

 

そんなことを考えていたからか、ここ何日か「諸行無常」という言葉がよく頭に浮かんだ。

平家物語の出だしを美しいと思い、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、から、ひとえに風の前の塵に同じ、までを中学生の頃に暗記したのだけれど、試してみたら今だにそらで言えた。

諸行無常の響き、とはどんなものなんだろう。多分、特別な響きではなくて、いつも聞いている、よく知っているものなんじゃないだろうか。

常に存在する諸行無常の響き。というもの自体が、なんだか矛盾の気がして混乱した。

『クイーン・メアリー』のライバル クイーン・エリザベス

放送中の『クイーン・メアリー』もシーズン3。

シーズン3からは、イングランド女王エリザベスが登場。エリザベスは、クイーン・メアリーのライバルと言われる。けれど、2人は生涯で一度も会ったことはなかった。もし、2人が女王という立場ではなく、まったく違う立場で出会っていたとしたら、最良の友達となれていたのかもしれない、と2人の人生を調べてみて思った。

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エリザベスの両親、イングランド女王となったいきさつ、そして彼女の恋愛について書いていきます。

 

エリザベスの父ヘンリー8世と母アン・ブーリン

エリザベスの父ヘンリー8世は、生涯で6人の王妃を迎え、エリザベスの母アン・ブーリンは、彼の 2番目の王妃だった。

ヘンリー8世の最初の王妃だったスペインのキャサリン・オブ・アラゴンは、もとはヘンリー8世の兄アーサーの王妃だった。

イングランド王ヘンリー7世は、強国スペインとの結びつきを強めるために、長男アーサーの妃にスペインからキャサリンを迎えた。しかし、アーサーはその結婚後わずか6か月で亡くなった。

ヘンリー7世はキャサリンをスペインに返そうとせず、1503年、次男ヘンリー(後のヘンリー8世)と婚約させた。ヘンリーはこのときまだ12歳だった。

 ヘンリー7世の没後、1509年に18歳になったヘンリー8世が即位し、キャサリンと結婚した。アーサーの死後7年が経っていた。

2人の結婚生活は、当初穏やかなものだった。国内の和平を維持するため、男子の誕生が望まれていたが、キャサリンは死産、流産を繰り返し、1516年生まれのメアリー(『クイーン・メアリー』のメアリー・スチュアートとは別人)だけしか成長しなかった。

キャサリンが40歳を過ぎた頃、ヘンリー8世はキャサリンの侍女アン・ブーリンに目をとめた。ヘンリー8世はアンに惹きつけられたが、アンは愛人になることを拒んだ。アンの姉メアリー・ブーリンは過去にヘンリー8世の愛人で、アンはヘンリー8世に捨てられた時の姉を見て、自分は姉とは同じことはしないと決めていた。アンは、愛人ではなく王妃の座をヘンリー8世に要求した。

ヘンリー8世は、アンを手に入れるためには、キャサリンと離婚するしかなかった。しかし、ローマ教皇庁は神が結んだ夫婦を分かつことはできないとし、ヘンリー8世の離婚を認めなかった。そのため、離婚問題はイングランド国内で解決する道を探らなければならなくなった。ヘンリー8世ローマ教皇庁と離別して英国国教会を設立し、キャサリンとの結婚を無効とした。キャサリンの娘メアリーは、庶子として王女の身分を剥奪された。ヘンリー8世アン・ブーリンは、正式に結婚した。結婚前にアンは身ごもっていた。

しかしこの頃、ヘンリー8世の気持ちは冷めていた。アンにとっては生まれてくる子どもが唯一の希望であり、男の子であることを望んだ。

生まれてきたのは女の子(後のエリザベス女王)だった。ヘンリー8世は落胆し、アンに不貞の罪を着せて処刑台へ送った。エリザベスはこのとき2歳8か月だった。アンとヘンリー8世の結婚無効が宣言されたことにより、エリザベスは庶子となった。

 

クイーン・エリザベスの誕生

庶子となり王位継承権を剥奪されたエリザベスは、どのようにイングランド女王となったのか。

1543年、ヘンリー8世はキャサリン・パーを王妃に迎えた。彼女はヘンリー8世の最後の王妃となった。

キャサリン・パーは、ヘンリー8世の3人の子どもたち(メアリー、エリザベス、3番目の王妃ジェーン・シーモアの子エドワード)が一緒になる機会をことあるごとに設けた。子ども好きのメアリーは妹エリザベスをかわいがり、幼いエドワードも姉エリザベスを慕っていた。

キャサリンは、エリザベスとメアリーの王位継承権を復活するようヘンリー8世を説得し、庶子の身分のままではあったが、2人の王女はエドワードに次ぐ王位継承権を与えられた。

1547年、ヘンリー8世は56歳で亡くなった。ヘンリー8世は遺言で、彼の妹の孫たちに、メアリーとエリザベスに次ぐ王位継承権を与えた。このことが後に王位継承をめぐる争いを引き起こした。

ヘンリー8世の死後イングランド王となったエドワードは、1553年に入ると、急速に健康状態が悪化していった。エドワード王が亡くなれば、次期王位継承権を持つメアリーがイングランド女王となる。このことを憂慮したのがノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーだった。彼はイングランドプロテスタント化を推し進めた人物で、狂信的なカトリック信者であるメアリーが女王となれば、自分は真っ先に処刑されると考えた。

1553年、公爵は自分の息子とヘンリー8世の妹の孫ジェーンを結婚させた。ヘンリー8世の遺言によって、ジェーンはエリザベスに次ぐ王位継承権を持っていた。公爵はジェーンをイングランド女王としようと計画した。エドワードが16歳の若さで病で亡くなる3週間前、エドワードは公爵に説得され、ジェーンを次期後継者に指名する遺言を書いた。エドワードが亡くなった後、ジェーンは王位についた。しかし、メアリーの蜂起によって、たったの9日間でその座を失った。

女王となったメアリーは、エリザベスに対する態度を一変させた。37歳になる自分と比べて、20歳のエリザベスは美しく、人を惹きつけた。メアリーは嫉妬を抑えることができなかった。さらに、2人の信仰の違いが関係を悪化させた。メアリーはカトリック、エリザベスはプロテスタントだった。

 王位をエリザベスに渡さないため、メアリーは結婚して後継者をもうけたいと望み、スペインのフェリペとの結婚話を進めた。外国人との結婚に反対し、イングランド内で反乱計画を練る者たちがいた。その中の1人、ワイアットにエリザベスが接触したという噂が流れた。エリザベスはメアリーに無実を嘆願したが聞き入れられず、ロンドン塔に投獄された。母と同じように無実の身で処刑されることを覚悟したが、ワイアットがエリザベスの潔白を宣言したことで、エリザベスは投獄から2か月後にロンドン塔からウッドストックの邸に移送された。メアリーは自分の結婚を控え、妹が投獄されているのは外聞が悪いと思ったのかもしれない。

 メアリーはフェリペと結婚した。しかし子どもは産まれなかった。

対外的には、フェリペの要請で、アンリ2世(『クイーン・メアリー』に登場するアンリ王、フランソワの父)のフランスと戦争を始めたスペインに援助をしたが、結果は惨敗。1557年、イングランドは、フランスにカレーを奪われた(『クイーン・メアリー』シーズン1-20で出てきます)。

 この年、フランスでは王太子フランソワとスコットランド女王メアリー・スチュアートの結婚式が行われた。イングランド女王メアリーが亡くなり、もしメアリー・スチュアートイングランド女王となれば、スコットランド、フランス、イングランドが統一され、スペインにとっては脅威だった。

この頃、イングランド女王メアリーは病に侵され、容体は悪化していた。スペインの説得にも関わらず、メアリーはエリザベスを次期後継者に指名することを拒否していた。

1558年9月、メアリー女王は重体に陥り、ようやくエリザベスを王位継承者に指名した。11月、イングランド女王メアリーが亡くなった。

エリザベスはイングランド女王となった。

 

エリザベスの恋愛

権力を持った男性が、愛情が冷めた相手にどんな仕打ちをするのかを父という身近な人をモデルとして見てきたエリザベスにとっては、結婚しないという選択は現実的なものだったのかもしれない。

エリザベスの最初の議会が召集されたとき、議員らから早く結婚してほしいと嘆願された。エリザベスはそれに対し、

「いまや私人ではなくなり、この国の運命を担う身となりました。いま、さらに結婚という重荷を背負うのはとても愚かだと思います。こういえばみなさまに満足していただけると思いますが、わたくしはすでにイギリスと結婚し夫を持つ身となりました。」

『エリザベス 華麗なる孤独』石井美紀子著 中央公論新社 より 

 と言った。

即位からほぼ3か月後、1人の男性がエリザベスと噂になる。『クイーン・メアリー』にも登場するロバート・ダドリー。彼は、エドワード王の逝去後、ヘンリー8世の妹の孫ジェーンを女王に擁立しようとし、前女王メアリーに処刑されたジョン・ダドリーの息子である。ちなみにジェーンと結婚したのは、ロバートではなく別の息子です。

ロバート・ダドリーは、メアリー女王時代、困窮するエリザベスを何度か金銭的に助けている。同じ時期にロンドン塔に投獄されていたこともあり、2人は目に見えない絆で結ばれているように感じていた。エリザベスは自身の即位の知らせを受けるとすぐにロバートに使者を送り、再会した2人は強く惹かれあうようになった。 

1560年7月、エリザベスはグリニッジ宮殿からウィンザー城に移り、2人は毎日のように一緒に過ごしたとされる。

1560年9月、ロバートの妻エイミー・ロブサートが突然死亡した。エイミーは、2階の自室から階下へ続く階段の下で首の骨を折って息絶えているのを発見され、彼女の死は事故死だと判定された。しかし、ロバートは世間から妻殺しの疑惑をかけられ、エリザベスはそのような相手と結婚することを許されず、愛する人との結婚の道は閉ざされた。

イングランドという持参金を持つエリザベスには多くの縁談があったが、生涯誰とも結婚しなかった。その理由には、ロバートの存在と、夫の意志ではなく自分の意志で自分の人生を生きたいという強い希望があったからだと思う。

 

 

エリザベスも劇的な人生を送った女性です。

もう少し短い記事にまとめる予定でしたが、調べてみると彼女の人生も興味深くて、想定したより長くなってしまった。イギリスの宗教改革についても書く予定でしたが、そこは別の機会に譲りたいと思います。

困難を経験してイングランド女王となったエリザベスの後継者が、ライバルと言われたメアリー・スチュアートの息子ジェームズだったというのも不思議な気がする。

 

<参考文献> 

エリザベス―華麗なる孤独

エリザベス―華麗なる孤独

 
図説 イギリスの王室 (ふくろうの本)

図説 イギリスの王室 (ふくろうの本)

 
図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)

図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)

 

 

『クイーン・メアリー』について書いた記事

umisoma.hatenablog.com

umisoma.hatenablog.com

umisoma.hatenablog.com

 

2018年5月のはじめのひとりごと

いつのまにか、連休最終日となってしまった。連休前には、「来たれ!本とワインの日々よ!」とか思っていたのに、たいして本も読まず、ただひたすら休息した。

2月に前の記事を投稿して以来、新しく記事を書きかけてはほったらかしを繰り返し、公開できない中途半端な記事が残っている(『アンナチュラル』も最終回まで書きたかったんですが)。

人が読むかもしれない文章を書くというのは、日常生活の中で、ちょっと違うエネルギーがいる。ストレスがかかり続ける仕事や人間関係でぐったりしたとき、少しでも余裕をつくるために何かを削ろうとしたら、ブログを書くことは高い順位で削られる。というより、そもそも文章を組み立てるエネルギーが残されていないかも。

5月か。ホールケーキでいうと、すでに4分の1を食べ終わったところ。早い。

 

今年は冬季オリンピックがあった。平昌五輪。もうだいぶ前のことのような気がする。

平昌という文字、今のところはまだ、ピョンチャンと読める人は多いのかな。だけれどしばらく経てば、きっと読めない人が多くなる。

オリンピックでは、女子カーリングの試合をほとんど見た。

おもしろいと思ったのは、途中で相手にわざと点を取らせるとか、点が取れるときでも取らないとかいった、最後に勝つために途中の得点を見送るという作戦。カーリングに親しんだ人にはあたりまえなのかもしれないけれど、「常に勝つことがいいこと」という考え方の方が刷り込まれている私にとっては新鮮だった。

駆け引きの要素が大きく作用する競技だからかもしれないけれど、こういう考え方って哲学的な感じだ。カーリングに親しんでいる人は、生き方も違ってくるんじゃないだろうか。

 

1~3月期のドラマは、『賭けグルイ』を楽しみに見ていた。高校内で行われるギャンブルの成績で、校内の序列が決まるとか、そんなことないだろう!と突っ込みどこの多いストーリーではあるけど、その分フィクションとして楽しめた。主人公の蛇喰夢子を演じる浜辺美波さんが、動じない謎の美少女役にすごくはまっていた。無類のギャンブル好きの夢子が下品に見えないのは、浜辺さんがもともと持っている雰囲気なんだろうな。

続編を楽しみにしてしています。

 

今放送中のドラマでは、 『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』かな。学校で起こるさまざまな問題に、弁護士(スクールロイヤー)が法律で対処する。といっても堅いストーリーではなく、神木隆之介さん演じる弁護士の田口のイイ感じの小者ぶりがコメディ感を出してる。あの役が神木さんじゃなかったら、全然違うものになるんだろうな。校内で起こるさまざまな問題に、どういう解決策を出していくのかも見もの。

 

3月の後半には、初の海外ひとり旅に行ってきた。

ひとつだけこわいことがあった。

夜、何かの音に目が覚めて起きた。目覚ましのアラームをかけ間違えたかと確認するけれど、違う。部屋を見まわして音の原因を探して、ふと、ドアのチャイムが鳴っていると気づく。時計を見ると深夜1時過ぎ。

ドアの外の誰かはチャイムをしつこく鳴らし続け、ときどきドアノブをガチャガチャと動かしている。鍵がかかっているのはわかっているけれど、やっぱりこわい。ドアの向こうに「部屋間違ってますよ」と声をかけようかと思ったけれど、こちらは女ひとり。なめられると余計にこわいので、黙っていることにした。

しばらくすると音がやんで、いなくなったようだった。

再びベッドに入る。 

 うとうとしかけたとき、またチャイムが鳴り始めた。

「戻ってきたか」

でも声はかけられない。もう眠くて朦朧としているし、早く安心して寝たいので、とりあえずフロントに電話をかけることにした。

ベッドサイドにある電話の受話器を取って耳にあてたけれど、無音。聞こえるはずのツーという音が聞こえない。コンセントを確認すると、つながっている。

電話がつながらない→電気系統がやられている。これはもしかすると、ドアの外にいるのは生身の人間じゃなくて、幽霊なんじゃないか。どうしよう。

ドアの外の誰かは、その後もしばらくチャイムを鳴らし続けたけれど、10数分後にようやく諦めたらしく、部屋は静かになった。ほっとした。生身の人間だったか幽霊だったかはわからない。

ちなみに、あとから気づいたけれど、部屋にはもう1つ電話があって、そちらはちゃんと通じた。

 

そんな2018年の前半でした。

 前にマツコ・デラックスさんが「TVで何かを話したり、文章を書いたりしてるけど、40年くらいで積み重ねてきたことなんて、あっというまに使い果たしてしまう」というようなことをおっしゃっていた。

私にとってブログを書くことも、自分の中のものを使い果たしていくことなのかもしれない。でもその自分を見てみたい気もする。

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『アンナチュラル』第6、7回 名前、生きるという選択

「ミコト」という名前は、漢字で書いたらたぶん「命」。

ミコトの過去や今の仕事は、この名前とリンクしていく。

「いいよ、名前なんてどっちでも」

三澄さんではなく、ミコトさん、と呼びかけた六郎(私も今回から、久部くんではなく六郎と呼ぼう)にそう言ったミコトは、名前を変えても人は変わらないということを自分の身で知っている。

名前はただの記号。そこに意味や色を与えていくのは自分ではなく、自分の名前を呼ぶ他人の感情だと思う。

 

『アンナチュラル』を見ていると、『トゥルー・コーリング』というアメリカのドラマを思い出す。 『トゥルー・コーリング』も人の死や生きていたときのその人の思いと向き合うドラマだったからか。あんなに魅力があるドラマがシーズン2で打ち切りになるとは。本当に残念。

 

話を戻そう。

第6回、ミコトの同僚の東海林が殺人の疑いをかけられてしまう。

 同僚を友達と呼べるか。たまたま同じ職場だったから知り合った。じゃあ同じ職場じゃなくても、一緒にごはんを食べたり飲みに行ったりしてた?

「仕事がらみで知り合った人とはプライベートで会うほど親しくなれない」と言っていた知り合いがいたけれど(その人とは仕事がらみで知り合った)、 「たまたまそこにいたから知り合った」ということでは、仕事だろうがご近所さんだろうがなんだろうが同じなのに、仕事だけが違う気がするのはそこに評価や利害関係という要素が常につきまとうからだろうか。

同僚との関係は、特に評価が絡むとうまくまわらなくなる。自分に対する他人の評価、相手に対する自分の評価。どっちが上、どっちが下?他人の能力に対する嫉妬。

ミコトと東海林は?

「彼氏ほしがって、熱心に頑張っちゃってる私がバカみたい。バカだと思ってんでしょ。」

優秀な解剖医であるミコトに対する嫉妬が、東海林にはあるのかもしれない。

「まあいいけど。別にうちら友達じゃないし。」

「あ、そうね。ただの同僚だし。」

 

 同僚か、友達か。

けれど言葉はただの記号。どう呼ぼうが相手に対する信頼が減るわけではない。その人の仕事に対する信頼と、人としてのその人に対する信頼は、イコールではないけれど。

「お二人、仲がいいですね。長年のお友達のようで」

事件が解決し、ミコトと東海林に声をかけた木林に

「友達じゃありません。」

「ただの同僚です。」

「そう。ただの同僚。」

 と口々に言う2人。その人がいることで、毎日の仕事がちょっとでも楽しくなるなら、同僚でも友達でもなんでもいいんじゃない。

 

第7回のこのドラマの舞台は学校。今まで法廷や会社で、女性蔑視、過重労働 、仮想通貨などなど扱ってきたけれど、今回はいじめ、生存者の罪悪感、被害者/加害者問題と一段と重いテーマ。

そこに思うことはたくさんあるけれど、これだけ書きます。

「死んだやつは答えてくれない。許されるように生きろ」

中堂は、いじめが原因で自殺しようとしていた白井くんに言う。

死んだやつというのは、白井くんのクラスメイトの横山くんのこと。横山くんは、いじめられていた白井くんをかばったことでいじめられるようになり、それが原因で自殺した。

「生きる」という言葉を選ぶとき、死や、死までいかなくても狂気のような、暗くて深いものが見えている。 「生きる」という言葉には、「暮らす」や「生活する」と比べて、圧倒的な意志を感じる。

生きつづけるには常に何かを選択しつづけなければならないし、選択しつづけるには意志を持ちつづけなければならない。生きるということ自体が、生きることを選択しつづけているということなのかもしれない。生きることを選びつづけろ。

そして「許されるように」というのは、「許されるために」ではない。死者のために、ではなく、自分のためにということ。

中堂の言葉は、白井くんだけではなく、ミコトにも届く。

  

ミコトがおにぎりを食べるシーンが好き。

どんなときでも朝は来る。今日が昨日よりいい日でありますように。そのために、生きるために食べる。

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ミコトと中堂の仲を疑う六郎の嫉妬は、どうなっていくんだろう。