糸をほぐす

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『クイーン・メアリー』のライバル クイーン・エリザベス

放送中の『クイーン・メアリー』もシーズン3。

シーズン3からは、イングランド女王エリザベスが登場。エリザベスは、クイーン・メアリーのライバルと言われる。けれど、2人は生涯で一度も会ったことはなかった。もし、2人が女王という立場ではなく、まったく違う立場で出会っていたとしたら、最良の友達となれていたのかもしれない、と2人の人生を調べてみて思った。

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エリザベスの両親、イングランド女王となったいきさつ、そして彼女の恋愛について書いていきます。

 

エリザベスの父ヘンリー8世と母アン・ブーリン

エリザベスの父ヘンリー8世は、生涯で6人の王妃を迎え、エリザベスの母アン・ブーリンは、彼の 2番目の王妃だった。

ヘンリー8世の最初の王妃だったスペインのキャサリン・オブ・アラゴンは、もとはヘンリー8世の兄アーサーの王妃だった。

イングランド王ヘンリー7世は、強国スペインとの結びつきを強めるために、長男アーサーの妃にスペインからキャサリンを迎えた。しかし、アーサーはその結婚後わずか6か月で亡くなった。

ヘンリー7世はキャサリンをスペインに返そうとせず、1503年、次男ヘンリー(後のヘンリー8世)と婚約させた。ヘンリーはこのときまだ12歳だった。

 ヘンリー7世の没後、1509年に18歳になったヘンリー8世が即位し、キャサリンと結婚した。アーサーの死後7年が経っていた。

2人の結婚生活は、当初穏やかなものだった。国内の和平を維持するため、男子の誕生が望まれていたが、キャサリンは死産、流産を繰り返し、1516年生まれのメアリー(『クイーン・メアリー』のメアリー・スチュアートとは別人)だけしか成長しなかった。

キャサリンが40歳を過ぎた頃、ヘンリー8世はキャサリンの侍女アン・ブーリンに目をとめた。ヘンリー8世はアンに惹きつけられたが、アンは愛人になることを拒んだ。アンの姉メアリー・ブーリンは過去にヘンリー8世の愛人で、アンはヘンリー8世に捨てられた時の姉を見て、自分は姉とは同じことはしないと決めていた。アンは、愛人ではなく王妃の座をヘンリー8世に要求した。

ヘンリー8世は、アンを手に入れるためには、キャサリンと離婚するしかなかった。しかし、ローマ教皇庁は神が結んだ夫婦を分かつことはできないとし、ヘンリー8世の離婚を認めなかった。そのため、離婚問題はイングランド国内で解決する道を探らなければならなくなった。ヘンリー8世ローマ教皇庁と離別して英国国教会を設立し、キャサリンとの結婚を無効とした。キャサリンの娘メアリーは、庶子として王女の身分を剥奪された。ヘンリー8世アン・ブーリンは、正式に結婚した。結婚前にアンは身ごもっていた。

しかしこの頃、ヘンリー8世の気持ちは冷めていた。アンにとっては生まれてくる子どもが唯一の希望であり、男の子であることを望んだ。

生まれてきたのは女の子(後のエリザベス女王)だった。ヘンリー8世は落胆し、アンに不貞の罪を着せて処刑台へ送った。エリザベスはこのとき2歳8か月だった。アンとヘンリー8世の結婚無効が宣言されたことにより、エリザベスは庶子となった。

 

クイーン・エリザベスの誕生

庶子となり王位継承権を剥奪されたエリザベスは、どのようにイングランド女王となったのか。

1543年、ヘンリー8世はキャサリン・パーを王妃に迎えた。彼女はヘンリー8世の最後の王妃となった。

キャサリン・パーは、ヘンリー8世の3人の子どもたち(メアリー、エリザベス、3番目の王妃ジェーン・シーモアの子エドワード)が一緒になる機会をことあるごとに設けた。子ども好きのメアリーは妹エリザベスをかわいがり、幼いエドワードも姉エリザベスを慕っていた。

キャサリンは、エリザベスとメアリーの王位継承権を復活するようヘンリー8世を説得し、庶子の身分のままではあったが、2人の王女はエドワードに次ぐ王位継承権を与えられた。

1547年、ヘンリー8世は56歳で亡くなった。ヘンリー8世は遺言で、彼の妹の孫たちに、メアリーとエリザベスに次ぐ王位継承権を与えた。このことが後に王位継承をめぐる争いを引き起こした。

ヘンリー8世の死後イングランド王となったエドワードは、1553年に入ると、急速に健康状態が悪化していった。エドワード王が亡くなれば、次期王位継承権を持つメアリーがイングランド女王となる。このことを憂慮したのがノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーだった。彼はイングランドプロテスタント化を推し進めた人物で、狂信的なカトリック信者であるメアリーが女王となれば、自分は真っ先に処刑されると考えた。

1553年、公爵は自分の息子とヘンリー8世の妹の孫ジェーンを結婚させた。ヘンリー8世の遺言によって、ジェーンはエリザベスに次ぐ王位継承権を持っていた。公爵はジェーンをイングランド女王としようと計画した。エドワードが16歳の若さで病で亡くなる3週間前、エドワードは公爵に説得され、ジェーンを次期後継者に指名する遺言を書いた。エドワードが亡くなった後、ジェーンは王位についた。しかし、メアリーの蜂起によって、たったの9日間でその座を失った。

女王となったメアリーは、エリザベスに対する態度を一変させた。37歳になる自分と比べて、20歳のエリザベスは美しく、人を惹きつけた。メアリーは嫉妬を抑えることができなかった。さらに、2人の信仰の違いが関係を悪化させた。メアリーはカトリック、エリザベスはプロテスタントだった。

 王位をエリザベスに渡さないため、メアリーは結婚して後継者をもうけたいと望み、スペインのフェリペとの結婚話を進めた。外国人との結婚に反対し、イングランド内で反乱計画を練る者たちがいた。その中の1人、ワイアットにエリザベスが接触したという噂が流れた。エリザベスはメアリーに無実を嘆願したが聞き入れられず、ロンドン塔に投獄された。母と同じように無実の身で処刑されることを覚悟したが、ワイアットがエリザベスの潔白を宣言したことで、エリザベスは投獄から2か月後にロンドン塔からウッドストックの邸に移送された。メアリーは自分の結婚を控え、妹が投獄されているのは外聞が悪いと思ったのかもしれない。

 メアリーはフェリペと結婚した。しかし子どもは産まれなかった。

対外的には、フェリペの要請で、アンリ2世(『クイーン・メアリー』に登場するアンリ王、フランソワの父)のフランスと戦争を始めたスペインに援助をしたが、結果は惨敗。1557年、イングランドは、フランスにカレーを奪われた(『クイーン・メアリー』シーズン1-20で出てきます)。

 この年、フランスでは王太子フランソワとスコットランド女王メアリー・スチュアートの結婚式が行われた。イングランド女王メアリーが亡くなり、もしメアリー・スチュアートイングランド女王となれば、スコットランド、フランス、イングランドが統一され、スペインにとっては脅威だった。

この頃、イングランド女王メアリーは病に侵され、容体は悪化していた。スペインの説得にも関わらず、メアリーはエリザベスを次期後継者に指名することを拒否していた。

1558年9月、メアリー女王は重体に陥り、ようやくエリザベスを王位継承者に指名した。11月、イングランド女王メアリーが亡くなった。

エリザベスはイングランド女王となった。

 

エリザベスの恋愛

権力を持った男性が、愛情が冷めた相手にどんな仕打ちをするのかを父という身近な人をモデルとして見てきたエリザベスにとっては、結婚しないという選択は現実的なものだったのかもしれない。

エリザベスの最初の議会が召集されたとき、議員らから早く結婚してほしいと嘆願された。エリザベスはそれに対し、

「いまや私人ではなくなり、この国の運命を担う身となりました。いま、さらに結婚という重荷を背負うのはとても愚かだと思います。こういえばみなさまに満足していただけると思いますが、わたくしはすでにイギリスと結婚し夫を持つ身となりました。」

『エリザベス 華麗なる孤独』石井美紀子著 中央公論新社 より 

 と言った。

即位からほぼ3か月後、1人の男性がエリザベスと噂になる。『クイーン・メアリー』にも登場するロバート・ダドリー。彼は、エドワード王の逝去後、ヘンリー8世の妹の孫ジェーンを女王に擁立しようとし、前女王メアリーに処刑されたジョン・ダドリーの息子である。ちなみにジェーンと結婚したのは、ロバートではなく別の息子です。

ロバート・ダドリーは、メアリー女王時代、困窮するエリザベスを何度か金銭的に助けている。同じ時期にロンドン塔に投獄されていたこともあり、2人は目に見えない絆で結ばれているように感じていた。エリザベスは自身の即位の知らせを受けるとすぐにロバートに使者を送り、再会した2人は強く惹かれあうようになった。 

1560年7月、エリザベスはグリニッジ宮殿からウィンザー城に移り、2人は毎日のように一緒に過ごしたとされる。

1560年9月、ロバートの妻エイミー・ロブサートが突然死亡した。エイミーは、2階の自室から階下へ続く階段の下で首の骨を折って息絶えているのを発見され、彼女の死は事故死だと判定された。しかし、ロバートは世間から妻殺しの疑惑をかけられ、エリザベスはそのような相手と結婚することを許されず、愛する人との結婚の道は閉ざされた。

イングランドという持参金を持つエリザベスには多くの縁談があったが、生涯誰とも結婚しなかった。その理由には、ロバートの存在と、夫の意志ではなく自分の意志で自分の人生を生きたいという強い希望があったからだと思う。

 

 

エリザベスも劇的な人生を送った女性です。

もう少し短い記事にまとめる予定でしたが、調べてみると彼女の人生も興味深くて、想定したより長くなってしまった。イギリスの宗教改革についても書く予定でしたが、そこは別の機会に譲りたいと思います。

困難を経験してイングランド女王となったエリザベスの後継者が、ライバルと言われたメアリー・スチュアートの息子ジェームズだったというのも不思議な気がする。

 

<参考文献> 

エリザベス―華麗なる孤独

エリザベス―華麗なる孤独

 
図説 イギリスの王室 (ふくろうの本)

図説 イギリスの王室 (ふくろうの本)

 
図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)

図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)

 

 

『クイーン・メアリー』について書いた記事

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