「クイーン・メアリー」時代のスコットランドの情勢と宗教
海外ドラマ「クイーン・メアリー」(NHK BSプレミアムで水曜夜11時15分放送)がおもしろい。主人公のメアリーは、スコットランド女王メアリー・スチュアート(1542~87、在位1542~67)がモデル。アメリカで作られただけあってBGMの入れ方はよくある学園ドラマみたいだし、歴史ものにしてはキラキラしすぎと言えなくもない。まあそれでもいい。彼女たちが身に着けるドレスやジュエリーを見るのも楽しいから。それも当然で、そうそうたるブランドがコスチュームを担当している。
ドラマを見ていると「イングランドの脅威」や「プロテスタント化」などの言葉が出てきて、この時代のスコットランドの状況がどんな感じだったのか気になり、本を読んでみた。せっかくなので少しまとめてみようと思う。このドラマを見ている方やこれから見ようと思っている方にとって、ドラマをより理解する助けになれば幸いです。
現在のスコットランドの地図(赤枠内)。メアリーの時代には、スコットランドとイングランドの国境地域は、絶え間ない紛争が続いていた。
クイーン・メアリー誕生の頃のスコットランドの情勢
現在ではスコットランドはイギリスの一部(2014年9月にスコットランド独立住民投票が行われたが、反対多数で否決された)だが、スコットランドとイングランドが合併してからまだ300年ほどしか経っていない。
15世紀頃まで、スコットランドはイングランドに臣従する立場だった。スコットランドがその独立を確実にしたのは、イングランドとフランスとの間で始まった百年戦争(1339~1453、ジャンヌ・ダルクが活躍したことで知られる)で、イングランドがフランスに集中せざるを得なかったことが大きい。百年戦争終結後すぐ、イングランドではバラ戦争(1455~85)と呼ばれる内戦が始まり、この間にスコットランド王は国内の地域で支配力を強めていった。
その後しばらく平和が続いたが、イングランドでヘンリ8世が王位を継承すると、イングランドは再びフランスとの戦争に進み、フランスは「古い同盟」(12世紀にスコットランドとフランスの間で結ばれた同盟)に基づきスコットランドに援助を求めた。スコットランドはそれに応えるが、イングランドに大敗を喫し、大きな損失を被った。スコットランドは、ブリテン島でのフランスの身代わりとされたと言える。
スコットランドでは親フランス派と親イングランド派が対立し混乱する。1528年、ようやくスコットランド王ジェイムズ5世(メアリー・スチュアートの父)が政権を握り全権を掌握する。ジェイムズ5世は熱心なカトリック信者であり、彼の妃マリー・ド・ギーズもフランスの貴族ギーズ家の出身のカトリック信者であった。スコットランド王とフランスとは、姻戚関係と宗教から結びつきが強化された。
1542年、イングランドとの戦争で敗北した後ジェイムズ5世が30歳の若さで亡くなると、娘のメアリー・スチュアートが生後6日でスコットランド女王となり、マリー・ド・ギーズが摂政となった。マリー・ド・ギーズはメアリーをフランス王太子フランソワと婚約させ、彼女が6歳のときにフランスへ送り出した。スコットランド領土を持ち、イングランド王家の血を引き王位継承権も持つメアリーを、国王アンリ2世のフランスは暖かく迎えた。
1558年に16歳のメアリーはフランソワと結婚。同じ年にイングランドでは、プロテスタントのエリザベス1世が即位している。
1540年~50年代、スコットランドでも宗教改革が進められた。
宗教改革 16世紀のカトリック世界でおこった、信仰と教会制度上の大変革。ドイツから始まり、スイス・イギリスなどで展開されたが、国や地域によりその展開や内容は異なった。以降、改革派が新教、カトリック派が旧教と呼ばれる。
新教 プロテスタントとも呼ばれる。
「世界史用語集」全国歴史協会研究協議会編 山川出版社 より
ヨーロッパ大陸での[宗教改革の]進展の影響や、スコットランドにおけるローマ・カトリック教会の横暴への反発、また場合によってはフランスとの同盟への公然たる反対により、とりわけローランドのスコットランド人の多くが宗教改革を支持した。
スコットランドの宗教改革で中心的存在となったジョン・ノックス(1513/15~72)は、カトリックとプロテスタントとの争いの中捕らえられて2年間ガレー船の漕ぎ手として服役した後イングランドへ渡り、1559年、スコットランドへ戻ってきた。
ノックスはスコットランドに帰国後、宗教改革を推し進めた。「クイーン・メアリー」でもマリー・ド・ギーズが「国全体が急速にプロテスタント化してる」と話すシーンがあるが、この時期のスコットランドの様子を表していると思われる。
宗教改革の指導派にとって、宗教改革は腐敗した教会の変革とともに、財産上の利益を得られる機会でもあった。
会衆指導派は忠実なプロテスタントであったかもしれないが、同時に彼らは別の大きな機会をも、うかがっていた。彼らは、イングランドの土地所有者が一世代前に経験していたのと同様に、修道院の解散から利益を得られると考えたので、この修道院破壊を大いに歓迎した。けれども、そのような行為は、王権とその支援国フランスに戦争を宣言するも同然であった。内戦には、イングランドとフランスの介入を招くおそれがあった。
このタイミングで、マリー・ド・ギーズが亡くなり、イングランド、フランスともにスコットランドから手を引いた。1560年、ここにスコットランドの宗教改革は成立し、プロテスタント国であると正式に宣言した。
同じ1560年、メアリーは母に続いて夫であるフランス王フランソワも亡くし、1561年、未亡人となっていたメアリーは19歳のときスコットランドへ戻った。
幼い時期をフランスで過ごしたメアリーは、敬虔なカトリック信者だった。このことが、すでにプロテスタント国となっていたスコットランドの統治を難しくしたことの一因だろう。
メアリーとそのまわりの人々
メアリーはスコットランドに戻ってからも、2度の結婚、退位、イングランドへの逃亡、幽閉、そして 処刑されるまで波乱万丈の人生を送る。こうして調べてみると、今までも何度も映像化、小説化されるだけの魅力ある人物だったのだと思う。
フランソワは、実際は小柄で病弱だったらしい。ドラマでは長身のイケメンで刀も弓も使いこなし、ひ弱で発育不良の噂があるという設定。そういう解釈もありかなと思って楽しんでいる。
バッシュが実在した記録は残っていない。後世に残されなかった事実があったとして強引な解釈をしてもまあいいじゃないのと思って見ているけれど、歴史ものとしてはこの辺で作品の好き嫌いが分かれるところかも。
最近気になるのは、歴史に名を残した悪女カトリーヌ・ド・メディチ(フランソワの母)。ドラマの中でも悪女ぶりは健在。シーズン1の放送が終わる前に、彼女のことを調べてブログに書いておきたいと思っている。
『クイーン・メアリー』について書いた記事
<参考文献>
「 図説スコットランド」佐藤猛郎、岩田託子、富田理恵 河出書房新社