解決しない家族の定義(『獣になれない私たち』の感想を少し含む)
あけましておめでとうございます。
年末年始、録画してあったドラマ『獣になれない私たち』を見ながら、ぽつぽつと考えていた家族の定義について、改めて考えた。
ぽつぽつ考えさせられていた原因は、昨年から習い始めた英会話でときどき遭遇する「あなたは家族はなん人ですか?」という質問に毎回戸惑うからだ。
一般的に家族と言われて頭に浮かぶのは、親子の組み合わせだろうと思う。自分が子どもだったときは、親、自分、きょうだいがいれば彼らを含めて家族だと認識する。大人になって結婚したら、配偶者や自分の子がメインの家族にシフトするのだろう。
この質問は、結婚していれば「夫と娘が1人」というような答えになると思うし、結婚していなくて子どももいない人は、自分が子どものときに自分のまわりにいた家族(父、母、姉、弟など)を答えるのが通常だと思う。
この考え方でいくと、立場によって家族の範囲がずれてくる。例えば、自分が未婚で、既婚のきょうだいがいる場合、そのきょうだいが答える家族には自分が入っていないのに、自分の答えにはきょうだいが入っていることになる。この範囲をずらさないためには、ある程度の年齢になって配偶者も子どももいなければ、「家族はいません」と答えるべきなんだろうか。
「How many people are in your family?」でこんなことを考えていては会話が止まってしまうので、自己紹介の一環としてたたっと駆け抜けていいところなんだろうけれども。私にとって、正しい答えは何だろう。
『獣になれない私たち』で、恒星(松田龍平さん)が、行方不明だった兄と再会し、兄をその妻子の元に連れていくシーンがあった。妻子はダメな兄を受け入れ、家族は再び一緒になる。家族の再生。それを見ながら、恒星は1人取り残される。
恒星にとって、兄は家族だけれど、兄にとっては、恒星はすでに失われた家族の一員なのかもしれない。先の質問を恒星に投げたら、彼はきっと「家族はいません」と答えるのだろう。
もうひとつ、ドラマの中で、晶(新垣結衣さん)が、別れた彼氏の元カノ朱里(黒木華さん)に
「ずーっと1人で生きていくの?」
と聞かれるシーンがあった。
それに対して晶は
「1人なのかな?」
と答える。友達、同僚、元カレのお母さん、いろんな人と一緒にいる時間のひとつひとつを大切にしていけば、
「生きていけるんじゃないかな。1人じゃない・・・んじゃないかな」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。晶の言うように、ひとつひとつの関係を大事にしていけば、孤独を感じない生き方もできるのかもしれない。疑似家族を持つように。もしかしたら疑似家族は、1人世帯が増えた現代では増えていくかもしれない。晶が言うよりもっと密な疑似家族のコミュニティができたら、それもおもしろい。
家族は?の質問に対し、誰かが「夫と娘が1人」と言ったあとに「両親と・・・」と答えるときに違和感を感じるけれど、「家族はいません」と答えたとしてもそう感じるだろうと思う。この問題はきっと解決しない。