糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『逃げ恥』第9回 平匡さんと風見さん、2人の男について

『逃げ恥』第9回。

なんとなく正体がつかめない人だった風見さんは、第8回から輪郭が見えてきた。第9回、この人の優しいところが見えて、いつのまにか、私、平匡さんより風見さんの方を好きになってるかも。
対して平匡さん。今まで、風見さんと立場を変わってもいいだの、キスした後仕方ない感じでハグしたりだの、近寄る気配を見せてみくりちゃんを突き放し、みくりちゃんに「ずるい」と言わせていた自尊感情の低い男。でも今回の「ずるい」は、今までとは違った。
風見さんと平匡さん、この2人の男について私の個人的な思いを書きたい。

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第8回から、私の中で風見さん株が急上昇。顔だけのイケメンじゃない、というのはうすうす気づいてはいたんだけど、第9回はかっこよかった。
風見さんは思ったことを正直に相手に言う率直さがあり、この率直さをどう捉えるかによって好き嫌いが分かれると思う。
この人の率直さはきっと、表面だけ取り繕っていい顔してつきあっても、仕方ないと思っているから。率直な言葉は人を傷つけることもあるし、つきあいの浅い人には誤解されやすいだろうけど、表裏がないことを理解すれば、信用するに値する人とわかる。
例えば、会社で、平匡さんに自分の思っていることを伝えるシーン。
「正直に言うと、みくりさんが好きです。」「津崎さんのことも好きです。」
津崎さんのことも好きだから、心配させるようなことは自分はしない、と伝えている。
そして第8回で百合ちゃんの車の中で自分の過去の話をしてとき、平匡さんが起きているのに気づいてたことも、言っちゃうのね。
この過去の話というのは、風見さんが中学時代にはじめてつきあった彼女に「私は地味だしかわいくないし風見くんとは違う」とふられたとき、彼女は風見さんがどう思っているかを考えず自分のことしか見ていなかった、そんな彼女に何も言ってあげられなかった、という話。
これは、平匡さんに対して、みくりちゃんの気持ちをちゃんと考えてあげてるのかというメッセージ。風見さんは、自分は性格悪いから、平匡さんが起きているのを知っててわざとその話をしたのだと話す。
こんなまわりくどい気持ちの伝え方ができるのは、駆け引きができる人。こういう人って、これまで他人との関わりの中で、自分を理解してもらえないジレンマを抱えてきた人なんじゃないだろうか。その結果、理解されない人には理解されなくてもいいという割り切りと、でも好きな人とは理解しあいたいという意志で、人づきあいをするようになったんじゃないだろうか。

風見さんで気になったのはもうひとつ、風見さんの優しさがストレートに伝わるシーン。
外で思わず涙を流した百合ちゃんを、まわりの人の視線から隠すために壁ドンするところ。しかも、百合ちゃんを気遣って、自分も涙を見ないよう視線をそらす。
かっこよすぎます。
こんなことをされて心が動かない女がいるだろうか。
百合ちゃん!


そして。平匡さん。
ずっと自分の気持ちを押さえつけ「雇用主」の立場に自分を押し込めていたせいで、なかなか「恋人」の立場にシフトできず、雇用関係のシステムの再構築とか言い出す。それを言われたときのみくりちゃんの目が「そうじゃなくて・・・!」と全力で訴えている。
いつまでも事務的でシステマチックな平匡さんに不満がたまってきたみくりちゃんに、平匡さんはようやく
「みくりさんはもう簡単に手放せる人じゃないんです」
と言う。でもこの言い方がまた事務的。「雇用主」の発言とも「恋人」の発言ともとれる。
だから言ったみくりちゃんの「ずるい」。
「雇用主」なのか「恋人」なのか、はっきりしてほしい。自分は恋人として平匡さんを好きなのに、どっちつかずの言葉で惑わさないでほしい。
「私ばっかり好きで」というみくりちゃんの言葉に、あっさり「好きですよ」と言う平匡さん。え、前から言ってますけど、みたいな感じで。
この言い方がやっぱり事務的なんだよなあと思い、そうかと気づく。平匡さんは、好きという気持ちの表し方がわかってないんだ。
けど事務的なのはここまで。みくりちゃんが怒っているのは嫉妬からだと思った途端、どうでしょう。
嫉妬してくれたんですかと訊くとき、すでに顔がにやけている。
嫉妬されるなんて生まれてはじめてだし、怒ってるみくりちゃんもとんでもなくかわいいし、もう笑いが抑えられない。
って、そこで笑うか平匡さん。
あなたのつれない態度に今まで傷けられてきたみくりちゃんを思い、つい「笑うな」と言ったのは私だけではないだろう。
なのに、「ずっと・・・僕のこと好きならいいのになって思ってました」って!
これを言われたらもう怒れないよ。
ずるい。

というか、このへんから星野源のエロさが平匡さんに流れ込んでいる気がして、どうも今までの平匡さんになかったエロさが見える気が・・・。
自然にハグしちゃうし、平然と「一緒にいますか?朝まで」とか言っちゃうし。その表情さえ今までのオタオタしていた平匡さんと違うじゃないか。
ともあれ、彼女いない歴35年だった平匡さんがその年月を猛烈な勢いでうめ、ようやく恋愛というものに肌をなじませてきたみたい。


おまけ 百合ちゃんの涙
やっぱり気になった、百合ちゃんの涙のシーン。
会社のためにと一生懸命がんばっているのに、何かあるとすぐに「あの人は結婚してないから」と言われる。こういうことは実際にある。
仕事上のことをプライベートなことであてこするのは、ほとんどの場合嫉妬からだと思うのだけど、わかっていても言われた方は落ち込む。
落ち込んだとき、じゃあこんな思いをしながら何のためにがんばってるのかと自分に訊いたら、家族がいる人なら「家族のため」かもしれないし、あとは例えば「お金のため」かもしれないけれど、そういうものがなければ、百合ちゃんのように、自分の後ろにいる若い子たちが自分を見て勇気づけられるかもしれない、そのためにかっこよく生きなきゃ、と思うのかもしれない。
これは、けっこうしんどいことではある。子どもとかお金は目に見えるものだけど、自分の後ろにいる若い子たちの姿は見えない。それ以前に、いるかどうかすらわからない。
本当は、自分の後ろにいる若い子たちというのは、自分を奮い立たせるために作り上げた幻想なのかもしれない。
百合ちゃんが涙を流してしまったのは、風見さんにそれを見透かされて、自分ががんばってるのは、ただひたすら自分のためでしかない、自分はひとりなんだと確認してしまったからだと思う。

自分のためだけにがんばるというのは自分がもういいと思えばいつでもやめられる、でももう少しがんばりたい、だから幻想を作ってそのためにがんばる、でも幻想はやはり幻想でしかない。
じゃあ何のためにがんばればいいんだろう。百合ちゃんはその答えを見つけられるんだろうか。もし見つけられるなら、その答えを私も知りたい。

『逃げ恥』について書いた記事
umisoma.hatenablog.com
umisoma.hatenablog.com
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『逃げ恥』を見て結婚と家事の関係について考えた

 『逃げ恥』を毎週楽しみに見ている。放送は第8回まで終わったところ。

第8回は、平匡さんに拒絶されたみくりちゃんが実家に帰ってしまい、2人が離れて自分と向き合う回だった。あいかわらず新垣結衣ちゃんはかわいかったけど、前半は中だるみ感があったように思う。あの夜の拒絶シーンを平匡さんバージョンとみくりちゃんバージョンで2回見て2回痛い思いをするのはつらかった。

1番よかったのは、平匡さんがみくりちゃんと電話で話すシーン。特に平匡さんがずっとコンプレックスだった女性経験がないことを伝えるところ。
コンプレックスを受け入れるのは難しいし、それを他人に伝えるのはものすごく勇気がいる。だけどこのコンプレックスを乗り越えなければ、みくりちゃんを傷つけ続けることになる。平匡さんはみくりちゃんと向き合うために、今まで「自分だけ」を見てきたことを反省し、コンプレックスという壁を壊した。心のテリトリーをみくりちゃんに向かって開いた重要なシーンだと思う。
大きな壁を越えて2人の関係はどう進展していくのか、次回が楽しみ。

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さて、第8回で「運命の相手にする」や「無料奉仕で家事」などのセリフを聞いて、「結婚と結婚生活における家事って何」とふと思ったので、ちょっと考えてみようと思います。

自分のことに関していえば、私は結婚願望があまりない。仕事して家事して、ひとり暮らしでもすごく大変なのに、2人分の家事をこなすなんて私には無理だと思う。小さい頃に母が子育てと家事に追われてキーッとなっているのを見ていたから、そう思うのかもしれない。
そういえば、今まで2人の人から「君との結婚生活を想像できない」という理由で別れを告げられた。やっぱり私は結婚向きの女ではないのだなあと妙に納得した。すごく悲しかったけどさ。

みくりちゃんと平匡さんがほかの夫婦と違うのは、契約結婚をしていて家事に対して報酬を払っているということ。この先2人が恋愛関係になって入籍しようということになったら、きっと家事に対して報酬は発生しない。
一般的には、家事は女性がやることが多い。私のまわりでも、飲み会のとき「だんなの夜ごはん作ってから来た」という友達はけっこういる。

男の人はどう思っているんだろう。
あるタレントさん(男性)が「どんなときに結婚したいと思うか」という質問をされたときに、「夜暗い家に帰ったとき」とか「忙しくて掃除や洗濯がなかなかできなかったとき」とか答えているのをTVで見たことがある。帰ってきたとき家が明るかったら確かにほっとするけど、掃除や洗濯はそれこそ家事代行を頼んでみては、と思う。男の人が結婚するのは相手に家事をしてもらうため?
別のタレントさん(こちらも男性)が「結婚したら相手にどんなことをしてほしいか」という質問をされたときには「目が覚めたとき、包丁のトン、トンという音が聞こえたら嬉しい」と答えていた。これはわかる。『逃げ恥』でも、平匡さんがみくりちゃんの握る包丁の音で目が覚めるというシーンがあった。朝の包丁の音は、子どもの頃に母親が握っていた包丁の音を思い出させる、穏やかで安心できる幸せの音なのだ。その音をもう一度聞きたいということは、その記憶を再現したいということなんだろう。だからこの音を聞きたいのはきっと男も女も同じなのに、包丁を握るのは女の方で、男はそれによる記憶の再現を享受する。この役割分担は、朝の包丁に限ったことなのか?

ここまで考えて、そうかと思う。
結婚するということは、幸せな記憶の構築をするということなんじゃないか。
そう考えると、清潔な衣服と部屋、安心して口にできる食事を提供する家事は、幸せな記憶の構築ための行為ということになる。

ここで先ほどの疑問に戻ってみる。家事は女がするべきものなんだろうか?
結婚が幸せな記憶の構築のためにするもので、家事はそのための行為だとすれば、家事は女がするべき、いや男もするべき、という問題ではないんじゃないか。どちらかがして、どちらかが享受するというのは、とてもアンバランスな関係だと思う。結婚=幸せな記憶の構築は、構築する側とそれを享受する側ではなく、お互いに努力してやっていくことなのではないか。
お互いの努力。これはみくりちゃんのお母さんの「意志がなきゃ続かないのは、仕事も家庭も同じ」という言葉にも通じてくる。
そう意志が大事。やはり享受するだけではダメなんだ。

それにしても。結婚してないしその予定もない人間が結婚と家事との関係について考えると、机上の空論だな、やっぱり。
最近の私は、毎週みくりちゃんの仕事ぶりを拝見しているからか、日曜日に今までよりちょっとだけがんばって掃除をしている。みくりちゃん、ありがとう!ほんのちょっとだけ部屋がきれいになりました。


『逃げ恥』について書いた記事
umisoma.hatenablog.com
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『プリンセスメゾン』第4回感想

10/25からNHKBSプレミアムで放送しているドラマ『プリンセスメゾン』を見ている。特に期待せず第1回を見たら、じわじわとしみてくる切なさがあって、毎週録画している。


森川葵さん演じる居酒屋勤務の26歳独身、沼越幸がマンションを買うという夢を追う話。その回によってスポットがあたる人物がいて、表ではそつなく日常生活を送っているように見えても、実はみんないろんな思いを抱えて生きていることが描かれる。
全体的に適度な脱力感があるので油断して見ていると、心のすきまに刺さるセリフを突然持ってこられてぐさっと来る。

例えば、バリバリに仕事ができて「ひとり身の希望の星」と呼ばれている(推定)40代の女性が、夜寝るときにつぶやいた「私いつ死ねるんだろう」。
なかなか、このセリフは入れられないなあと思った。
でも私も思うときがある。いつまで生きていかなきゃいけないんだろう。

女がひとりで生きていくことは、今や特別なことではないと思う。けれど男よりも女の方が世間の風当たりは強い(ような気がする)。誕生日やクリスマスも女がひとりで過ごすと言うと、殊更「かわいそう」という顔をされる(ような気がする)。
こういうことを言うとよりいっそう「かわいそう」という顔をされる(ような気がする)ので言わないが、クリスマスだからといってケーキ食べたりプレゼントあげたりとか、もう面倒。盛り上がるのはサンタクロースを待つ子どもたちとカップルで過ごす学生たちで十分じゃないだろうか。世間の波に乗ってはしゃぐのは、もう卒業。疲れちゃった。

ひとりというのは、守るものがないだけ自由だけど、どうしても踏ん張らないといけないときに支えになるものがないということでもある。自分ひとりの意志だけで前に進むというのは、ときどきしんどい。
ドラマの中でその女性はこう言う。
「女がひとりで生きていくのって、覚悟が必要よ」
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『君の名は。』を見て

www.kiminona.com
ちょっとネタバレあります。



映画『君の名は。』を見てきた。
評判がよかったので期待していたけれど、率直に言うとものたりなかった。なんとなくしっくりこないまま終わってしまった。

TVなどで流れていた宣伝は恋愛映画を想像させるものだった。たしかに恋愛という軸もあるのだけど、メインはそこではない。
田舎に住む三葉と東京に住む瀧は、夢の中で心が入れ替わる。なぜ入れ替わるのか、その理由がこの映画の主軸だ。
ある日を境に突然、2人は入れ替わることがなくなる。瀧は三葉がどうしているのか知りたくて、夢の中の記憶をたよりに三葉を探す。そして現れる真実。入れ替わりの理由。

しっくりこなかった1つめは、この理由に気づくシーンがあんまりさらっと描かれていて、理由を聞いたときに「だからここまでの流れがあったんだ」と納得できなかったこと。「その理由は本当にあってるの?」という疑問を結局映画の最後まで持ち続けることになった。
この理由をちゃんと受け止められるかどうかで、その後の展開での感動に差が出てくるんじゃないだろうか。

しっくりこなかったのはもう1つ、2人の間にはもともと何か深い絆があると思わせる伏線があったこと。それは、あちこちでさりげなく出てくる「かたわれ」というキーワード。男女間で「かたわれ」と来たら、それはもう、2人で1人、分かちがたい存在という意味じゃないか。
「かたわれ」という言葉が出てくるシーンを整理。
1、三葉の住む地域には「かたわれどき」という方言がある。これは「たそがれどき」のこと。
「誰そ彼(たそかれ)」は「彼は誰(かはたれ)」と言っていた時代もあり、「かたわれ」はこの言い方が変化したものらしい。三葉の通う高校の古文の授業でこのことにふれられている。その後四葉もこの言葉を口にしている。
2、三葉の家は代々神職についていた。祭りごとは今も残っているが由来は今ではわからない(この由来は入れ替わりの理由につながっている)。巫女が踊り、コメを口の中に入れかみ砕いてからどろどろにして口から出したものを保存しておくと、時間がたって酒となる。これが口噛み酒と言われ、その巫女の「かたわれ」だと言い伝えられている。

これだけこのキーワードが出てきたら、2人に絆のあった事実がこれから出てくるんじゃないかと、最後の最後まで思いながら見ていた。が、私の見た限り特にそういう事実は出てこなかった。たぶん「かたわれ」という言葉は、私が思ったのとは別の意味でつかわれていたのだと思う。それともそれほど深い意味を持たせられていない言葉だったのかもしれない。

その他、ストーリーの冒頭に現在のシーンを持ってきたのも、構成としては疑問がある。中盤で三葉たちが奮闘している場面を見ていても、その未来のシーンをすでに見ているから「大変そうだけど結局あのシーンに収束していくんだよなあ」と冷静になってしまった。結果を知らなければ、もっとドキドキしていられたのに。

こうなったらもう、純粋な恋愛ものとしてとらえるべきなのかもしれない。
「忘れちゃいけない人」との運命の出会いはもしかしたら誰にも訪れる(三葉の入れ替わりの理由を考えると矛盾するけどそこは無視)、記憶には残っていなくても会えばわかる、いつか遠い昔に知っていた人との再会。
10代の頃ならトキメいていたかもしれない。だが運命だと思った出会いが無残な恋の終わりに結着するという経験をすでにしているイイ年した大人は、この出会いにもうトキメかない。悲しい。

というわけで、どこに落としどころをもっていけばいいのかわからかった。
かといって駄作かというと違う。映像がとてもきれい。声優さんも上手。大事に作ってきたという作り手の思いが伝わってくる。
ミステリを見るようにいろいろ勘ぐりながら見ると、「こことここの整合性は?」などといろんなところが気になってしまうので、あまり考えず映像と展開を楽しむ映画だと思う。見終わった後に残る疑問をああだこうだ話しあうことも、この映画を「観る」ということに含まれているのだろう。

日曜日、等々力渓谷に行く

子どもの頃隣の家に住んでいた幼なじみに、等々力渓谷に行こうと誘ったらつきあってくれるというので、とりあえず日にちを決めておいた。行くのは日曜日。

 金曜日、帰宅してワインを飲みながら本を読んでたら楽しくて、スマホも見ず。

土曜日、家具のリメイクをしてたら楽しくて、またもスマホを見ず。
夜になってスマホを見てみたら、幼なじみから何度もLINEが入っていた。

日曜日、等々力渓谷で彼女に会うと
「全然連絡がないから、倒れてるかと思った。家まで見に行くところだった」
と言われた。
LINEだけじゃなくFacebookにもメッセージを送ってくれていた。まったく気づかなかった。
こういうことでまわりに心配をかけずに生きていきたい。 約束があるときは、LINEはときどき確認しよう。

等々力渓谷は緑が多くて空気がひんやりして気持ちよかった。
お茶屋さんでわらび餅を食べた。

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柿の種

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「柿の種(戯言)」というカテゴリを作った。
深い意味はないけれど、たまたま部屋の本棚にある寺田寅彦の随筆『柿の種』が目についたので。
この本は思いついたことをつらつら書いたものらしく、例えば

「寝入りぎわの夢現の境に、眼の前に長い梯子のようなものが現れる。
 梯子の下に自分がいて、これから登ろうとして見上げているのか、それとも、梯子の上にいて、これから降りようといているのか、どう考えてもわからない。」
 (寺田寅彦『柿の種』短章1より)

とか。
どっちでもいいよねーと思う。
どっちでもいいことを真剣に考えるのも、案外おもしろかったりする。
そんな感じで、思ったことをこのカテゴリに入れていこうと思う。要するに戯言です。

はじめまして

はじめまして、相馬海(そうま うみ)と申します。

何か、書き残しておけるものをやってみたくて、このブログを開設しました。
文章を書くことは頭の中を整理すること、くだらなそうなことをまじめに考えて、頭の中のこんがらがった糸をほぐしていきたいと思っています。

もしよろしければおつきあいください。
どうぞよろしくお願いします。
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