糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『刑事フォイル 壊れた心』

『刑事フォイル 壊れた心』の感想を書いています。第5シリーズ第2話(NHK BSプレミアムでは2月19日、2月26日放送分)です。

 

 あらすじ

<前編>

1944年10月。イギリス軍はある貴族の館を接収し、精神を病んだ兵士の診療所にしていた。そこで働くユダヤ人の医師ノバクは、フォイルの友人でありチェス仲間だ。ある日、その診療所で別の医師が殺される。一方、ドイツで捕虜となっていた男性が復員。5年ぶりに戻った我が家で見たのは、自分の妻子がドイツ人の捕虜と楽しそうに過ごしている姿だった。

<後編>

収容所を脱走したドイツ人捕虜が死体で発見される。フォイルは、前日に彼と激しく口論したフレッドと、同じころに姿を消していた家出少年に疑いの目を向ける。一方、自殺を図ったが一命を取り留めた医師のノバクは、自分が同僚の医師を殺したと主張するが、フォイルは疑問を抱く。そして捜査を進める中、被害者の書斎である物を見つける。

NHK海外ドラマHP 『刑事フォイル』これまでのあらすじ より

 

感想

これまでの話を通しても印象的な回でした。中心になるのは医師ノバクがユダヤ人であるために起きてしまった悲劇、そこに戦地から戻っても元の生活に戻れないピーターとフレッド、2人のそれぞれの家族が絡んできます。

 

戦争も終わりに近づき、ヘイスティングズ署の雰囲気も少し明るくなってきているようです。ブルックはサッカーの試合の賭けに参加しようとフォイルたちに声をかけます。

一方で、戦争が落とした影はいまだ濃いままです。戦地から戻っても元の生活に戻れない人たちも多く、戦地でつらい体験をしたために精神を病み診療所で生活するピーターや、ドイツの捕虜となっていたフレッドもその1人です。

フォイルの友人でありチェスの師匠でもあるノバクは、ある日カフェでチェスをしながら、フォイルに自分の過去を話します。

「私の妻は音楽家だ。ピアニストでね。ショパンは、妻を思い出すから聴けなくなった。娘が一人。マリアンカだ。あと数日で14歳になる。自宅はポーランドのルブリンにあった。1939年の9月にヒトラーポーランドに侵攻した時、私はパリに出張していてね。戻れなかった。私を運がいいと思うかね。41年6月、家族は強制的にユダヤ人隔離居住区に移された。1年半後にマイダネクという強制収容所へ送られたらしい。あとはわからない。わかる日は来ないだろう。」

フォイルはこう返します。

「常に希望はあります。」

フォイルのこの言葉がドラマの最後までつながっていきます。

2人のこの会話の後、ノバクは同じ診療所の医師ワースの論文が載った精神科学の会報を見て激昂し、「あいつ、殺してやる!」と言い、カフェを出ていきます。 

 

 診療所で医師のワースが殺されるという事件が起きます。

フォイルは捜査のために診療所を訪れ、ノバクにも話を聞きます。ノバクがカフェで「殺してやる」と言ったすぐ後にワースが殺され、ノバクにも疑いがかかります。ノバクはフォイルに、話をするのは仕事があるので少し待ってほしいと言い、フォイルがノバクの部屋を出ている間に、ノバクはマイダネクの惨状を伝えるニュースをラジオで聞いてしまいます。マイダネクはノバクの家族が収容されている場所であり、彼は自分の家族は全員死んでしまったと思います。

ピーターは閉鎖病棟のある病院に転院します。ノバクは、ピーターがワース殺害の犯人だと思い、ピーターを守るために転院させたのです。マイダネクのニュースでショックを受けたノバクは、蒼白な顔で自転車で自宅へ向かいました。何かが引っ掛かったフォイルたちはノバクの自宅へ向かいます。

ノバクは、ショパンの曲を聴きながら、お風呂で手首を切っていました。とても悲しいシーンです。ゆっくりと死に近づいていくノバク、ノバクの家から漏れ聴こえるショパンで何かあったと推測し家に踏み込んだフォイルたち、血で赤く染まったバスタブに浸かったノバクをミルナーが助けるシーンでもショパンの美しいピアノが流れていて、悲惨なシーンを際立たせています。

ノバクは一命を取り留めます。なぜ自殺しようとしたのかと問うフォイルに、救急車に運び込まれながら、ノバクはワースが言っていたと口走ります。 このセリフの「ワース」は診療所の医師ワースのことかと思われましたが、実はBBCの特派員ワースのことだと後にフォイルの捜査でわかります。

ノバクは、ピーターを殺したのは自分だと言いますが、フォイルはそれが真実だとは思えません。

 

フレッドは戦地から妻ローズと息子ダニエルの元に帰ってきましたが、ドイツ人の捕虜でローズの農場の仕事を手伝うヨハンが、ローズやダニエルと親しくしているのを見て怒りを抑えられません。ドイツの捕虜となり苦しい思いをしている間、自分の妻や息子と仲良くしていたのが自分を苦しめていたドイツの人間だとしたら、それも仕方ないかもしれません。

ヨハンをよく思わないフレッドに気を遣い、ローズはヨハンを別の農場へ派遣することを決意します。別れのハグをしている2人を見てしまい、フレッドはヨハンに殴り掛かります。戦地で足を痛めたフレッドは、ヨハンに歯が立ちません。フレッドはヨハンに「戻ってきたら殺す」と捨てゼリフを吐きます。

 

体調が回復し、湖で釣りをしていたノバクは、家出している少年トミーと偶然出会います。家出した理由を問われたトミーは、その理由を答えます。トミーは電報を配達する仕事をしていましたが、夫が戦争で死んだという電報を女性に渡したとき、その女性が帰れと叫びながらトミーを叩いたことにショックを受けていました。

ノバクはトミーに言います。

「その人は悲しみのあまり、我を忘れたんだ。愛する人を失って。君がそこにいたからたたいただけで、今ならきっと君を抱きしめて謝ると思う。君のせいなんかじゃない。」

トミーをたたいた女性の立場に、後に自分が立つことになろうとは、ノバクはこのとき思っていなかったでしょう。 

 

第2の殺人が起きます。被害者は捕虜収容所から脱出したヨハン。ヨハンをよく思っていないフレッドか、爆撃で母を殺されてドイツ人を憎んでいる家出少年トミーが犯人かと思われました。

ヨハン殺害の犯人を探す中、ワース殺害は診療所所長のキャンベルが犯人だとわかります。キャンベルは、診療所の患者ピーターの妻で、自分の秘書をしているジョイとの関係をワースに知られ、ゆすられていたのでした。

 

第2の殺人のヨハン殺害の場面は、偶然、トミーが目撃していました。フォイルも自身の捜査から、犯人を突き止めていました。

フォイルはいつものカフェでノバクと会います。

フォイルは、ノバクが自殺しようとしたのは、ワース殺害の犯人とノバクが思っていたピーターをかばうためではなかったと指摘します。ノバクが自殺未遂で救急車に乗せられたときに口走った「ワース」とはBBCの特派員アレグサンダー・ワースであり、ノバクが自殺しようとした直前のラジオで、マイダネクで「想像もできない殺りく」が行われたとレポートしていました。

「想像もできない殺りく」という言葉に対し、ノバクは

「いや実際に誰かが想像し実行に移した。」

と言います。「想像もできない殺りく」を想像できるという人間の想像力の恐ろしさ。

ノバクは、家族が死んだのに自分一人が生き残った罪悪感からピーターの罪をかぶろうとした、それは間違っていたとフォイルに告げます。マイダネクの生存者の中に娘のマリアンカがいるらしいと。

話が終わったと思い席を立とうとするノバクに、フォイルは「映画はどうでしたか」と声をかける。

ヨハンが殺された日の夜、クロスビーの映画を見ようと映画館の前に並んでいたノバクに、フォイルは偶然会っていました。このとき映画のフィルムは届かず、代わりにコメディとニュースが流されました。マイダネクに関する映像は耐え難い惨状でした。フォイルは捜査でそのことを知り、ノバクがヨハン殺害の犯人だと確信していました。

ノバクは悲惨なニュース映像に耐え切れず、途中で席を立ってしまいました。歩き回っている途中で、収容所を脱走してローズの家に向かうヨハンと偶然出会い、ナチスに対する感情をヨハンにぶつけ、ヨハンを殺害してしまいました。

「私は沸き上がったどす黒い気持ちを彼にたたきつけてしまった。ナチスと変わらない。不思議なものだ。私は科学者で理性的な人間だが、人生における重要な出来事は偶然で決まるという事実から目を背けることはできない。」

 ノバクは偶然パリに出張していたからマイダネクで死なずにすんだ、偶然クロスビーが好きだったから映画館でマイダネクの惨状を伝えるニュースを見てしまった、偶然その後ドイツ人のヨハンに出会ってしまった。偶然が重なって起きてしまった事件。

ノバクがトミーに湖で言った言葉を思うと、胸が痛みます。

 思えば第1話『ドイツ人の女』から、イギリスでドイツ人というのは「敵」でした。戦うべきなのはヒトラーで、民間人には善人もたくさんいるとわかってはいても、大切な人を亡くした大きな悲しみから身近なドイツ人に怒りが向いてしまうのは、どうしようもないことかもしれません。けれど、ノバクが言ったようにそれは一時的な思いで、時間が経ち悲しみを受け入れられれば、怒りを向けた相手を抱きしめることもできる、そうであってほしいと思います。しかし相手を殺してしまっては、もう抱きしめて謝ることはできません。

 

家出少年トミーは、父の本音を聞き、家に帰ることにします。

フレッドは、息子ダニエルのために、ローズとちゃんと向き合おうとします。

「常に希望はあります」

というフォイルの言葉が思い出されます。

ブルックがみんなに声をかけていたサッカーの賭けは、フォイルが大穴をあてました。フォイルは「偶然」と言っていましたが本当でしょうか?フォイルのことなので、ちゃんとデータを読んだ結果かもしれませんよね。

 

今回は、ミルナーが最後に言う

「悲しい事件でした」

という言葉が事件をよく表しています。

 

おまけ

少しの間イギリスに行っていたのと、日本に戻ってからも忙しかったのとで、感想を書くのがだいぶ遅くなってしまいました(この次の回の『警報解除』まで放送終了しています。そちらの感想もこれから書きたいと思います)。

イギリスでは、このドラマの舞台ヘイスティングズにも行ってみたかったのですが、時間がなくて行けず。次回イギリスに行くときには行ってみたいです。

 

『刑事フォイル』について書いた記事

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『カルテット』STORY6、7 「愛してるけど好きじゃない」

第6回は夫婦の気持ちが離れていく過程というしんどい内容で感想を書く気持ちになれなかったのと、あまりに多忙だったのとで、第6回、第7回はまとめて書きます。

それにしても、第5回で4人が自分たちの現実をつきつけられるというしんどさを見せられた後に、第6回もまたしんどかった。

 

「愛してるけど、好きじゃない」 

多分、親やきょうだいに対するのと同じような気持ちのことだろう。大切に思っているし、元気で楽しく過ごしていてほしい、でもいつも一緒にいたいわけじゃない。それでも一緒にはいられるんだけど、幹生は真紀さんを好きでいたかった。

2人でパエリアを作ったときに、幹生がくれた詩集をなべ敷きがわりに真紀さんがテーブルに置いたときには、さすがにどうかと思ったけど、真紀さんからしたら、ありのままの自分を幹生が受け入れてくれているという安心感からなんだろう。

あの歌を思い出したのは私だけでしょうか。

「ありのままの姿見せるのよ

ありのままの自分になるの」


幹生の好きな映画を2人で見るシーンがあった。
「この人悪い人?」
真紀さんが映画を見ながら幹生に尋ねる。
幹生はグレーの象徴のような人だ。いい人なんだけど、ある日妻を残して失踪した。いい人なんだけど、お金がなくてコンビニ強盗をした。
過去の真紀さんは、白黒つけたがる人だったのかもしれない。幹生の失踪が、真紀さんの生き方をグレーに変えていったんだろうか。

相手の気持ちが離れてしまったと知るのはつらい。でも、好きでいたいと思いながらも、好きでいられなくなっていくのもつらい。

 

そして第7回。
真紀さんは幹生と再会し、2人で東京へ向かう。

真紀さんをタクシーで追うすずめちゃんは、コンビニで真紀さんを見つける。
「行かないで」
私たちも家族のはずでしょ。同じシャンプー使ってるし、頭から同じ匂いしてるし。以前真紀さんはそう言ってすずめちゃんのことを家族だと受け入れてくれた。でもすずめちゃんの言葉は真紀さんには届かない。
すずめちゃんは、真紀さんに 隠してたことがあると伝えて、やっと真紀さんと対等な関係になれたのに。このシーンから、すずめちゃんは真紀さんにタメ口で話している。
真紀さんはまたもすずめちゃんに呪いの言葉を吐く。

「抱かれたいの」

それはすずめちゃんにはできないことで、すずめちゃんは真紀さんを引き留められなくなってしまう。

楽器を演奏する人にとって、楽器はモノではなくて、自分の感情を表現するもの。ずっと1人で生きてきたすずめちゃんにとっては、チェロはもう1人の自分。すずめちゃんの弾くチェロの音を聞いた家森さんはもちろん、すずめちゃんの機嫌が悪いことはわかってしまう。

 

幹生が帰っできた東京のマンションでは、幹生の脱け殻だった靴下は真紀さんによって片付けられる。
「脱ぎっぱなしで」
と。多分真紀さんはこれが言いたかったんだと思う。幹生に再会する前の真紀さんは、そこからまた2人の関係を再生できると思っていたのかもしれない。
幹生とおでんを食べながら、真紀さんはカルテットの話をする。幹生はこういう真紀さんと一緒にいたかったんじゃないか。でも2人でいたら、好きなことをして、バイオリンを弾く生活はできない。
2人は離婚届を出す。

 

離婚した真紀さんの「マキさん」問題再び。
誰かの環境が変わるときに一緒にいられて、そういう時間を積み重ねて、人と人は近くなっていくんだろうね。

 

クドカンさんは、独特の存在感がある。演技をしてるんだけど、やっぱりクドカンさんなんだなあ。 

 

 

今、海外にいます。日本を発つ前に録画で見た『カルテット』を思い出しながら書いたけれど、記憶違いの部分もあるかと思うので、日本に帰ったら記憶あやふやで書いた部分を確認して、多少修正するかも。

 

『カルテット』について書いた記事

 

 

 

 

 

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『刑事フォイル 疑惑の地図』

『刑事フォイル 疑惑の地図』の感想を書いています。第5シリーズ第1話(NHK BSプレミアムでは2017年2月5日、2月12日放送分)です。

 

3月11日(土)~  第1シリーズからの再放送が始まるそうです!

www9.nhk.or.jp

 

あらすじ

<前編>

1944年4月。ドイツの敗戦が濃厚となる中、連合軍はドイツ本土への爆撃を続けていた。爆撃に使用する地図を作製していた空軍省の施設では、自分が作った地図のせいで罪のない人々が死んでいると悩む青年がいた。彼はドイツ人であるケプラー神父に心のうちを相談していたが、自殺未遂を繰り返す。一方、ヘイスティングズ署には新たな警視正が着任するが、署員の士気は下がるばかり。

<後編>

フォイルはパーキンズ警視監に説得され、一時的にヘイスティングズ署に復帰。さっそくヘンリーとメレディスの事件の捜査に取りかかる。ミルナーは運送詐欺事件の容疑者を取り調べていく中で、協力者に空軍省の施設関係者がいることをつきとめる。一方、サムはヘンリーの女友達から有力な情報を聞き出していた。

NHK 海外ドラマHP 『刑事フォイル』これまでのあらすじ より

 

詳しいあらすじと感想

フォイルの退職後、サムは警察をやめ、ミルナーは警察の仕事を続けています。

ミルナーは、運送詐欺をしていたビル・バートンという男を逮捕しましたが、彼は自分の友人たちが挨拶周りにくるかもしれないとミルナーを脅します。運送詐欺には軍内部に協力者がおり、この頃には軍も腐敗していたことがわかります。

ミルナーはフォイルの後任の警視正メレディスとうまくいっておらず、異動願を出そうと思っていることをフォイルに話します。その帰り、ミルナーは走ってきたトラックにひかれそうになります。ミルナーたちはバートンの仲間がやったのではないかと疑います。

サムの新しい勤務先ビバリーロッジでは、ドイツ爆撃のための地図を作製していました。そこで働いているヘンリーは、ドイツの町を爆撃し、民間人まで殺してしまう作業に加担していることに罪の意識を持っており、その悩みを教会の牧師ケプラーに相談していました。ケプラーは敵国ドイツからの亡命者でしたが、ヘンリーはケプラーを信頼していました。

ある日、ヘンリーは仕事中にドイツの町ホッホフェルトハウゼンの地図を見て、あることに気づき、ビバリーロッジを出ていきます。その後、ヘンリーは森の中で木にぶら下がった死体となって発見されました。ヘンリーのポケットにはホッホフェルトハウゼンの写真が入っていました。ミルナーは、一見自殺と見えるヘンリーの死を他殺と見立てます。

ミルナーの捜査では、ケプラーはホッホフェルトハウゼンという場所は知らない、イギリスに来る前はミュンヘンの教会にいたと言います。 

ある夜ミルナーメレディスが帰ろうと署を出たところを、メレディスは銃で撃たれ、ミルナーを「チャーリー」と呼び、死んでいきます。

チャーリーとは、メレディスの息子のことでした。メレディスは戦争で2人の息子を失い、生きる気力を失くしていました。メレディスはもとは有能な人でしたが、戦争の影響で変わってしまったのでした。ミルナーを息子と思って死んでいったことを「せめてもの救いだ」と言うフォイル。戦争の影がこんなところまで来ていました。

再び警視正の席が空いてしまい、警視監パーキンスはフォイルを訪ねます。パーキンスが要件を言う前にフォイルは何を言われるか察し、

「結論から言うと、お断りします」

と言います。しかし、パーキンスは今までのことを詫び

「君の他にはいないんだ」

とフォイルを説得します。前回の『戦争の犠牲者』でフォイルの代わりはいくらでもいると言ったパーキンスに、ようやくそれが間違っていたと認めさせることができました。フォイルは警察へ復帰します。

サムは、ヘンリーが同じ職場のアダムの秘密を握っていたことを突き止め、ヘンリーを殺した犯人はアダムではないかと疑います。サムはそのことをフォイルに伝えます。警察を退職しても、サムはいい仕事しますね。

ケプラーが何かを隠していると疑うフォイルですが、ケプラーはヘンリーが死んだ日にヘンリーと会っていないし、ホッホフェルトハウゼンという町も知らないと言います。

捜査を進めると、バートンの情報からビバリーロッジのフォースター中佐が運送詐欺に関わっていたことがわかりました。バートンはそのことでフォースターを脅迫し、自分の甥のアダムをビバリーロッジで雇わせていました。フォースターはヘンリーを殺していませんでしたが、能力のないアダムに地図を作らせて飛行機の搭乗員を危険にさらし、運送詐欺で戦争に使うお金を着服していたことについて、いずれ処置が下るとフォイルに言われます。

「よかった。ホッとした。正直、この日を待っていた。人生をやり直せたらとよく考える。恥ずかしく思っています。」

フォースターはフォイルに言います。負け惜しみなのでしょうか、それとも本心なのでしょうか。

ビバリーロッジから出ようとしたフォイルはウォーターロウという男性に呼び止められます。彼は空軍情報部所属で、ビバリーロッジからドイツに情報が洩れている疑いがあり、その調査のためにビバリーロッジに入り込んでいた人物でした。彼はフォイルの捜査に協力すると言い、ケプラーの供述書を見せました。それには、ケプラーはホッホフェルトハウゼンに5年間いたと記されていました。フォイルはホッホフェルトハウゼンの写真を確認し、ヘンリーが殺された日にケプラーに会おうとした理由と誰がヘンリーを殺したのかに気づきます。

フォイルは教会にケプラーを訪ね、ケプラーの供述書とミルナーに対する答えの矛盾を問い詰めます。ミルナーがその矛盾に気づく前に、ケプラーミルナーを殺そうとし、誤ってメレディスを撃ってしまったのです。ヘンリーも写真を見てホッホフェルトハウゼンに教会がないことを知り、ケプラーが仕事の悩みを聞くふりをして自分を裏切り、ドイツに情報を流していたと気づきました。ヘンリーを殺したのはケプラーでした。

「私は悪人じゃない。任務を果たしただけ。それはあなたが任務を果たすのとまったく同じだ」

というケプラーにフォイルはとりあわず、

「そういう詭弁に興味などない」

と告げます。銃を向けるケプラーに、外で待つと言いフォイルは背中を向けます。今までの話の中でも、こんなに緊迫感のあるシーンは初めてだと思います。

直後、ケプラーは銃で自殺します。

 

 シリーズも中盤に入り、書かれる内容が変わってきたように思います。長引く戦争が人の心にどう影響しているのかが書かれるようになってきました。 

宗教による救いはもう傷ついた人々の心に届かなくなってきています。大事な人が戦争で命を奪われ、「汝の敵を愛せ」というキリスト教の教えを信じることができません。

 そんな中、 ヘンリーの信仰心を利用したケプラーの行為は、許すことのできないことです。けれど、この人も戦争に勝つために任務を果たすという、国が唱える正義の犠牲になった人物と言えるのかもしれません。

今回もやはりサムのキャラに救われました。フォイルが警察に戻ったら、相談もせずさっさとビバリーロッジをやめてフォイルの運転手に復帰したり、フォイルは困った顔をしながらも嬉しいでしょうね。

 

『刑事フォイル』について書いた記事

 

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『カルテット』STORY5 夢と現実とプライド

夢に裏切られた経験がある人には、第5話はかなりしんどかったんじゃないかと思う。しんどい話だった。

「あきらめきれない人たち」

成功している人から見れば、もう終わっているのだ。終わっている夢を、あきらめきれない人たち。

真紀さんもすずめちゃんも別府くんも家森さんもそれはわかっている。だから、音楽事務所のプロデューサーから演奏を褒められても、素直によろこぶことはしない。よろこんだ後、ああやっぱり違ったのだと、理想と現実との落差に気づいて崖の上から突き落とされるような落胆を、もう味わいたくないと思うから。

「悲しいより悲しいのは、ぬかよろこび」

何度も何度もぬかよろこびをしたことのある人にしか言えないだろう、真紀さんの言葉(第2話)。

でも4人なら。別府くんが3人に言う。

 「しばらくは、しばらくの間は、カルテットドーナツホールとしての夢を見ましょう」

そしてまた、夢に裏切られる。

4人に仕事が舞い込んだのは実力が認められたのではなく、世界的音楽家ファミリーの一員である別府くんの弟に頼まれたから。

それでも4人は、演奏者のプライドを捨てない。どんな衣装でも、ダンスをさせられても、ステージで演奏できればそれでいい。

けれどそれさえ砕かれる。ピアノ奏者の到着が遅れているというだけのことで。ピアノと一緒にリハーサルする時間がないから、音源を流して演奏するフリをすればいいと言われる。演奏しなくていいのなら、ステージに立つのは自分たちである必要はない。演奏者のプライドを砕かれた屈辱にすずめちゃんは涙を流す。

「いいよ。やる必要ないよ。こんな仕事やる必要ない。」

ほらねやっぱり、わかってた、だからぜんぜん何ともない。そんな顔をする家森さんに、真紀さんは言う。

「家森さん、やりましょう。ステージ立ちましょう」

演奏者である自分たちが、演奏をせずにステージに立つ。真紀さんはもう、とっくに壊れた夢と、何度も突きつけられてきた現実とともに、プライドさえ自ら踏みつけてもっと先へ進んで行く。

「これが私たちの実力なんだと思います。現実なんだと思います。そしたら、やってやりましょうよ。しっかり三流の自覚もって、社会人失格の自覚もって、精一杯全力出して、演奏してるフリしましょう。プロの仕事を、カルテットドーナツホールとしての夢を見せつけてやりましょう。」

1人の演奏者としてのプライドを超えた、カルテットドーナツホールとしてのプライド。志のある三流でもいい。4人のその覚悟が、路上で、通りすがりの観客にかこまれての演奏につながっていく。

 

嘘をつかない人なんていない。

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「みんな嘘つきでしょ」

そんなこと、有朱が口に出して言うまでもない。 

真紀さんは、もちろんそれを知っているはずだ。なぜなら、真紀さんは秘密を追う者としては誰よりその才能を発揮しているから。別府くんが九條さんの気持ちを利用して恋の相談をしていることを見抜いたり、家森さんには猛暑で離婚はしないと即座に突っ込み、すずめちゃんが別府くんを好きなことも、すずめちゃんの過去をつかまえたことについては言うまでもなく。

「すずめちゃんなんて、嘘が全然ない人だし」

なんて、だから真紀さんがすずめちゃんにかけた言葉の呪いではないかと思ってしまう。

言葉の呪いは人を束縛する。言われた相手は、その言葉に沿うような自分でいようとする。真紀さんに信じてもらえる自分でいたい。でも自分はそうじゃない。

真紀さんの呪いはすずめちゃんに涙を流させ、嘘という鎧を脱がせてしまった。

言葉の鎧も呪いも一切合切

脱いで剥いでもう一度

僕らが出会えたら

おとなの掟

おとなの掟

  • Doughnuts Hole
  • J-Pop
  • ¥250

 絶対の掟は、時間が不可逆だということだと思う。

  

『カルテット』について書いた記事

 


 

 

 

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「あなたの人生は、いま何点ですか?」

 「LIFE!~人生に捧げるコント~」「LIFE!ANSWER」というコーナーの話。出演者が天の声からときどき投げられる質問。

→ NHK「LIFE!~人生に捧げるコント~」

 

自分の今の生活とか、何を優先して生きるべきかとか、目指している場所に対して自分がどの辺にいるのかとか、そんなことを考えさせられる。

1番記憶に残っているのはドランクドラゴン塚地武雅さんのときで、確か、2点、という答えだった。100点満点で。おもしろいことなんてなーんにもない、毎日同じことの繰り返し、というようなことをおっしゃっていた気がする。 

 才能を評価されてテレビで活躍していて、うまくいっているように見える人生でも、本人はそうでもなかったりするのだろうなあ。塚地さんは、結婚して子どもがいたりすれば違うのかもしれない、ともおっしゃっていたように思う。けれどそれはそれで、別の悩みや不満があったりするのだろうし。結局何をしていても、ないものねだりなんでしょうか、人生って。

 

私は80点、とか言いたいところだけれど、30点くらいか。いやこれから春へ向けての期待を込めて45点くらいにしておくか。どちらにしろ、50点は超えない、今のところ。

 

なんてことを考えながら通勤中、「LIFE!」に出演されている星野源さんの「桜の森」を聞いていた。 

桜の森

桜の森

 

  この歌は星野源さんの歌を聞くようになったきっかけで、大好きな歌。職場までの道を「あ、そ、こ、のもーりーの」などと歌いながら歩いていたら、サビの前の歌詞でようやくふと、というかやはり、ちょっと恥ずかしくなり、晴れた寒い朝に妙齢を過ぎた女がひとりでヒールをコツコツいわせながら歌う歌ではないかと思い、「SUN」に切り替えた。  

SUN

SUN

 

君の声を聞かせて

雲をよけ 世界照らすような

君の声を聞かせて

遠い所も雨の中も全ては思い通り

 楽しい春が来ますように!

ブログを始めて3カ月経って思うことと、Web世界についての妄想

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ここらへんで一度、今思っていることなど書いておこうと思う。

最近はドラマの感想を多く書いている。もともとこのブログを始めたときには、そういう記事を書くつもりはなかったのだけれど、『逃げ恥』がおもしろくて他のブロガーの方たちの感想を読んでいるうちに、自分も書いてみるかと書き始め、けっこう楽しいのでそのまま書き続けている。数年後に読むのもおもしろい気がするので、今後も心に引っかかるドラマについては書いていこうと思う。

あとは、日々感じたことや好きな本のことをもっと書いていきたい。 

何を書くにしても、自分が楽しくなければ続かないと思うので、楽しいと思うことを書いていけたらいいかな。

 

ときどき、妄想する。

私たちは真っ平な土地の上で生活し、私たちの上には巨大な水風船のようなWeb世界が浮かんでいる。Web世界は、毎日休みなく、誰かの感情や思想が流れ込み膨張していく。水風船に水が入れられていくように。ある日その重さと容積に耐えられなくなって、パーン!とはちきれたら、それまでWeb世界に溜め込まれていた感情や思想が一気に私たちの上に降り注ぎ、かつてないほどの思想的混乱に陥るのではないだろうか。

そんなことを私は妄想し、その妄想さえこうしてブログに書くことで、ほんの少しだけれど、妄想という水をまた入れてしまう。水風船は無限に膨張していけるだろうか。

 あ、でも、もうここ何年かは、それより前からかもしれないけれど、水風船の中の水は常に少しずつ漏れてこちら側にしずくを落としているみたいだ。その数は年々増えている。いずれ雨のようになるかもしれない。もう降っている場所もあるかもしない。

 

このブログをいつまで続けられるのかはわからないけれど、続けられるところまでは続けていこうと思っている。

『カルテット』STORY4 連鎖する秘密

第4回は、家森さんの回でした。

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家森さん役の高橋一生さんは、前クールのドラマ『プリンセスメゾン』で演じられた伊達さん役が好きだった。呼吸とか、指の先、目線の先まで行き届いた演技で、『カルテット』を見ようと思ったのは高橋一生さんが出るからというのもある。

(余談ですが、『プリンセスメゾン』はドラマ自体も好きだった。もう一度見たいけれど、残念ながら今のところ再放送の予定もDVD発売予定もないようです。)

  

自分の過去の秘密について話すとき、宝くじで6000万当たったことがある、とまずそこから始めるというのは、そのことが家森さんにとって今もそれだけ大きなことだったから。もしそれを受け取っていたら、そのときの未来であった現在を変えられていたかもしれない。

けれど時間は不可逆。から揚げにレモンをかけたら、もとに戻らないことはよくわかっているはずなのに、理解することと納得することは違う。

 

別府くんが言い出した、朝のゴミ出し問題。 

「僕が全部やっちゃうから、みんなやらないのかなあ。僕がやらなかったらみんなやるのかも。」

自分がやっちゃうから他の人はやらないのか、ということは、仕事ではけっこうある。ちょっとした雑用とか、誰かがやらなければいけないことだけれど、少しだけ面倒なこと。これはなかなか、解決するのが難しい。ちょっとしたことだから、そう思ってもたいていは強く言えない。別府くんみたいには。

仕事だけの関係ではないから、ゴミ出しのようにちょっとしたことでも、口に出してしまえるのかもしれない。別府くんは。

 

いろいろあったけれど、今さらなんだけれど「マキさん」が気になった。 

巻真紀さんは「マキさん」と呼ばれるとき、「巻さん」か「真紀さん」か、どちらで呼ばれていると思っているのだろう。

呼ぶ方は下の名前で呼んでいるつもりでも、呼ばれる方は苗字で呼ばれていると思っていたりすることもあるだろう。呼び方はその人との関係性を規定してしまうことがあるので、どう呼ぶか、どう呼ばせるかは、最初に出会ったとき、関係が変化するときに一考するべきかもしれない。私は巻真紀さんのことを、少しの親しみを込めて「真紀さん」と書いている。が、決して「真紀ちゃん」とはならない。

別府くんはどうなんだろう。巻、という苗字は真紀さんの夫のものなのだろうから「真紀さん」と呼びたいけれど、やはり「巻さん」と呼んでしまうのろうか。愛しいが虚しいに勝っているときなどは、「真紀さん」と呼びたくなるのかもしれない。そんなこと、どちらでもいいのか、マキさんには。

「語りかけても、触っても、そこには何もない。」 

横から見たら欠けているところなどないのに、上から覗くとぽっかり穴のあいたドーナツのように。真紀さんの、まだ見えない、暗くて深い空間には、どんな秘密が隠されているんだろう。

 

有朱のような人は、人の秘密の匂いを嗅ぎつける特殊な鼻を持っているんだろう。真紀さんの秘密を追っていたすずめちゃんは、「真紀さんの秘密を追っていた」という秘密を有朱に追われることになった。秘密が新たな秘密を作り出し、その秘密が別の他人に追われることになる。

大人だからって、秘密を守ることができるだろうか。

 

 

『カルテット』について書いた記事

 

 

  

 

 

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