糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

2024年10月のひとりごと

おひさしぶりです。

最後にこのブログを更新してから、2年半とちょっと経ちました。

 

その間、仕事を変わったり、引っ越したり、彼と別れたりと、いろいろなことがありました。

中でも私にとって1番大きかった出来事は、父が亡くなったことかもしれない。

父はコーヒーが好きだった。煙草はたしか、10年くらい前にやめた。「煙草を取るか命を取るか」と医者に言われ、父は命を取った。

父は実家で母と弟とくらしていた。その実家で父を最期まで看たのですが、最期の頃は、ベッドで寝ている姿勢から起き上がることさえ大変だった。1人では起き上がれず、母か弟に支えられて起き上がっていた。起き上がっても長い時間その姿勢を維持することはできず、一定時間が経過するとすぐ横になった。

でも「コーヒーを淹れたよ」と声をかけると必ず起き上がり、嬉しそうに飲んでいた。

 

私は父が亡くなるまで、人は死んだらこの世からは本当に消えてしまうものだと思っていた。

燃えてしまい、何も残らない。

魂の存在を信じていないわけではないし、なんならうちの中で姿の見えない誰かの足音を聞いたり、OFFにしてあるラジオが急に音を出し始めたこともあって、「誰かが私に会いに来たよ」と言ったりもしていたし、もしかしたら亡くなった祖父が祖母が心配して見に来てくれたのかもしれないとも思った。

誰かの魂がこの世に存在することと、死んで消えてしまうこととは違うことのようだ。うまく言えない。

父はもういない。でも居場所がなくなったわけではない。

すでに父のベッドは片付けられ、父がいつもいた場所はもうないのだけど、でもまだ近くにいる気がする。だから仏壇にコーヒーをあげ、手を合わせる。

父のことだから、狭いうちの中にいないで、どこか遠くでふらふらして楽しんでいるかもしれない。

 

後悔してることもあり、あのときに戻れたらと思うこともときどきある。

父と最後に会えたかもしれなかった週末、私は当時の恋人と一緒にいた。父はまだだいじょうぶ、と思っていた。

あのとき父に会いに行った妹と甥っ子が、父に会った最後になってしまった。

でも時間は巻き戻らない。次の週末を待たずに父は亡くなった。

小学校の卒業のとき、あまりに小学校生活が楽しすぎて、中学に行きたくなくて、「時間が戻ればいいのに!」って全身全霊をかたむけて強く強く願ったけれど、それでも時間は戻ってくれなかった。

あんなに強く強く思って叶わないなら、時間が戻ることはないのだと12歳で学んだ。

 

今のところ時間は不可逆で、私たちは、人の死を受け止めて、前に進んでいくしかない。