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糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『湯を沸かすほどの熱い愛』を見て

『湯を沸かすほどの熱い愛』2016年 日本 脚本・監督:中野量太

ネタバレしないように書きます。

 

2017年1月13日、第40回日本アカデミー賞の各部門賞が発表され、『湯を沸かすほどの熱い愛』は優秀作品賞(最優秀賞の発表は2017年3月3日)、中野量太監督は優秀監督賞、主演の宮沢りえさんは優秀主演女優賞、杉咲花さんは優秀助演女優賞と新人俳優賞に選ばれた。

 その影響もあったのか、私が見に行ったときは平日なのにほぼ満員だった。

あらすじをものすごく大まかにまとめると、余命数か月と宣告された母の双葉(宮沢りえ)が、家出した夫の一浩(オダギリジョー)を連れ戻し、娘の安澄(杉咲花)の根性をたたき直し、夫がいなくなったことで休業していた家業である銭湯の営業を再開して、家族を再生していく話。

さんざん感動と言う予告はあまり好きではなかったし、これまで見た病気ものの映画のように泣かせにくるんだろうと予想していたのだけど、予想外のところを突かれて泣いてしまう。最後にわかるタイトルの意味も嫌いじゃない。

話のつくりは全体的に漫画チック。ちょっと現実離れした展開がところどころあり「いやそれはないでしょ」と心の中で突っ込みを入れた。重いテーマをシリアスにし過ぎないという意図なら成功している。

シリアスな部分と漫画チックな部分のバランスが取れている最も大きな要素は、宮沢りえさんの演技だと思う。とにかく、宮沢りえさんが本当に良い。その存在感で、全ての要素がおさまるべきところにおさまっている。宮沢りえさんがあってのこの映画の完成度だと思う。

娘役の杉咲花さんもよかった。上手なことはわかっていてもやはり上手だと思うし、とても伝わってくるものがある。「体当たりの演技」とはこういうのをいうのだなあ。特に病室での感情を抑える演技は秀逸。

もう1人印象に残った俳優さんを挙げるならオダギリジョーさん。もはやダメ男が板についている。わざとらしくなく、適度に力が抜けていて、しょうもない人なのにどうしても憎めない空気感がある。ダメ男以外の欠点はなく(という言い方もおかしいけど)、こんな人だから双葉は好きになってしまったんだよねと納得できる。

 

双葉は仕事中に突然倒れて病院で診察を受け、自分の余命を知る。もちろんショックを受けるけれど、自分はやるべきことがあると気づいてからの気持ちの切り替えがすごい。延命のために生きる意味を見失いたくないと延命治療はしない。「生きる意味」はこのときの双葉には明確で、家族のことだ。

 

なんとなく、よしもとばななさんの『アムリタ』を思い出した。『アムリタ』にもちょっと複雑な家族が出てくる。その中のセリフに

「ある種の愛が家庭を存続させるのに必要、なのよ。愛ってね、形や言葉ではなく、ある1つの状態なの。発散する力のあり方なの。求める力じゃなくて、与える方の力を全員が出してないとだめ。」

 双葉は、家族全員が与える方の力を出せるようにしていく。家族とは、血縁と関係なく、お互いに与える力の中に入っている集合体なのかもしれない。与える力が相手に届かなかったり、与える気持ちがなかったりすれば、家族からは外れていくのかもしれない。

それはこの映画に出てくる何組かの母と娘にもあてはまる。深くなる母と娘の関係、崩れてしまう関係、新しく築いていく関係、修復できない関係。うまくいく関係だけではないのは残酷な現実。

 

この映画は、死にゆく人がやるべきことをやる話、とか残される人たちが自分の居場所を見つける話、とか母と娘の関係を描いた話、とかいろんな見方ができると思うけれど、私は見ている途中から、これはロードムービーなんだと思った。いつか必ず終わる人生という旅で、嬉しいことも悲しいこともあって、出会う人も別れる人もいて、その旅をどう終わらせるのかを描いた話だと。

死を「旅立ち」と表現することがあるけれど、旅立っていくのは生きている安澄たちの方だ。死んでいく双葉の旅は終わり、生き続ける安澄たちは旅を続けなければならない。双葉が余命宣告を受けてからしてきたことは、大事な人たちに対するはなむけの言葉だったのだと思う。

 

  

 ★『アムリタ』 吉本ばなな著 新潮文庫

 主人公の朔美は、母、腹違いの弟、母の友人、従妹の5人で暮らす。記事の中で紹介したセリフは、母の友人純子さんの言葉。

家族、生と死、オカルト、等ばななさんのテーマがこれでもかと詰め込まれている作品。小説の出来というところからすればもっと完成されたばなな作品もあると思うのだけど、私にとって『アムリタ』は、疲れたときに読みたくなる大切な本です。