『カルテット』STORY1、2、3 一筋縄ではいかない大人たち
このドラマについてあちこちで「万人受けする作品ではない、でもおもしろい」と書かれているのを見る。私もそう思う。
松たか子さん(巻真紀)、満島ひかりさん(世吹すずめ)、高橋一生さん(家森諭高)、松田龍平さん(別府司)。この役者さんたちがそろうというだけで、見よう!と思った。会話劇というのは、演じる役者さんによって出来が左右されてしまうものだけれど、4人で会話する場面はエチュード(即興劇)なんじゃないかと思うほど、台本のセリフを言ってるなという感じがしない。
偶然カラオケボックスで出会った4人は(実は偶然ではなかったと第2回でわかった)、カルテットを組むことに。4人は軽井沢にある別荘で共同生活を送る。
そして4人の秘密が少しずつもれていく。
1話では真紀さんが夫の失踪を白状した。
2話では別府くんがカラオケでの出会いは偶然ではないと真紀さんに思いを告白した。
別府くんと同僚の九條さんが、明け方のベランダでサッポロ一番を食べるシーンが好きだった。結婚が決まってるけど好きだから別府くんと寝た、でもそういうのは今日だけのこと、と言う九條さん。好きだけど、ある時点を過ぎて過去のものになってしまう恋愛というのは、あるよなあ。
2話ではいくつかの対比の表現があって、上と下、左と右、言葉と気持ち、など。その中に秘密を追う側と秘密を追われる側というのがあって、追うのがすずめちゃん、追われるのが真紀さん、だとすずめちゃんは思っていた。そうじゃなかったのかもしれない、とすずめちゃんが気づいたのが2話の最後。
3話では、ついに追う側と追われる側は逆転する。すずめちゃんの過去が真紀さんにばれる。
子どもの頃の隠しておきたい過去は、しかも親に言われてやっていたことなのに、逃げても逃げても追いかけきて、どこにも安住することができない。すずめちゃんの秘密に追いついた真紀さんは、逃げようとするすずめちゃんの手を握る。もう逃げなくていいのだと。
『湯を沸かすほど熱い愛』を見たときにも思ったけれど、家族に必要なのは血のつながりではなくて(そもそも夫婦は血がつながっていないことがほとんどだし)、お互いに求める力ではなく与える力の中に入っているということだと思う。父親に対してすでに与えようという気持ちがないすずめちゃんにとっては、父親はすでに家族ではなくなってしまった。
自分の体と同じくらいの大きさのチェロを背負って歩くすずめちゃんにとって、チェロはもうひとりの自分であり、唯一の家族だった。ようやく、チェロの他にも家族と言える人たちに出会えたんだ。
秘密。
ある程度の年数を生きていれば、人に言えない、言いたくないことは誰でもあるだろう。一筋縄ではいかない、秘密を抱えた4人。
ふと思ったんだけど、一筋縄でいく大人って存在するのだろうか(自分で「一筋縄でいかない大人」と書いておいてなんだけど)。ときどき出会う「昔は世の中を斜に見てる子だったんだ」と言う人に対して、世の中を正面からだけ見ているような子どもがいるだろうかと思うのと同じくらいに疑問に思った。
人とのつきあいが難しいのは、相手の感情や思考のごくごく一部だけしか見えないのに、見えないまたは見せない部分の感情や思考も考えて、相手に接しなければいけないから。人の中には大きくて深い空間があって、そこに考えられないくらい多くの感情や思考が詰め込まれている。それはまるでブラックホールのようだなと思う。みんながみんな、ブラックホールを抱えて、それでも平気な顔して外を歩いている。街はブラックホールであふれている。
もしも誰かのブラックホールにうっかり足を踏み入れてしまったら、元の場所に戻ってこられるんだろうか。巨大なドーナツの穴に落ちたときのように、穴を抜けて出られる空間は、落ちる前と同じ空間なんだろうか。アリスが落ちた穴のように、別の世界へ行ってしまうだろうか。
「告白は、子供がするものですよ。大人は誘惑してください。」
それが一般的な恋のルールなのか私はわからないけれど、冬に食べるアイスはおいしいよね。
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