2018年の終わりに諸行無常を思う
今年は、しんどい年だった。人間関係がうまくいかなかったことで、神経をすり減らし、常に疲れていて眠かった。それでもいくつかのいい出会いがあって、年末に近づくにつれて状況はよくなり、大晦日にたどり着くことができた。
ずっと見続けていた『クイーン・メアリー』の放送も終わり、つい先日、録画してあった最終回を見た。
人が彼女の人生に惹きつけられる理由は、彼女の情熱の強さではないかと思う。その情熱が彼女の人生を良い方へも悪い方へも導き、最後にはエリザベスに処刑されてその人生を終えることになった。
現在、ロンドンのウエストミンスター寺院でエリザベスの隣の部屋に眠るメアリー。どうか安らかな眠りでありますように。
※2017年3月に撮影。ウエストミンスター寺院前にて。
つい最近気づいたのだけれど、数年前と比べたら、自分のまわりにいる友達がガラッと変わっている。
昔から続いている友達もいるけれど、ここ何年かで知り合った人たちが多くなった。
10年前に「このメンバーとは一生つきあっていくと思う」と言ってくれた友達とも、いつのまにか会わなくなってしまった。いつかまた私たちの人生が交わることがあるのかはわからない。もしなくても、それは仕方のないこと。みんな変わっていくし、必要とする人も必要としてくれる人も変わっていくんだろう。
そんなことを考えていたからか、ここ何日か「諸行無常」という言葉がよく頭に浮かんだ。
平家物語の出だしを美しいと思い、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、から、ひとえに風の前の塵に同じ、までを中学生の頃に暗記したのだけれど、試してみたら今だにそらで言えた。
諸行無常の響き、とはどんなものなんだろう。多分、特別な響きではなくて、いつも聞いている、よく知っているものなんじゃないだろうか。
常に存在する諸行無常の響き。というもの自体が、なんだか矛盾の気がして混乱した。