糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『SHERLOCK』東の風が吹く

シャーロックロスでしばらく感想が書けなかったけれど、もうそろそろ書いておこうと思います。

シーズン4の最終エピソード、正直言うとあまり好きではなくて、ユーラスの実験はあまりに子どもっぽいし(最後まで見ればそれが狙いなのかもなと思うけれど)、モリアーティの動画はもうちょっとセンスよく作れなかったかジム!と言いたくなる(S2E3『Reichenbach fall』でシャーロックが乗ったタクシーのTVにモリアーティの画像が映るけれど、あれもまあセンスがあるんだかないんだかという感じだったので、彼はああいうのが好きなのかも)。

 

が、何度か見るうちに、こういう終わり方もありかな、という気になっています。

 

 子どもの頃から離島の牢獄シェリンフォードで過ごしていたユーラスが、今になって突然シャーロックに近づいた理由は、ジョンという存在が現れたからなのだと思う。彼女にとって、そのことはモリアーティをシェリンフォードに呼び出させるほど大きなことだった。

ユーラスはモリアーティが自分と同じものを持っていると感じたのだろう。それはきっと、自分の思いに気づかない相手をこわしたいという衝動。手に入らないのなら、いっそこわしてしまおう。2人とも賢いのに短絡的、いや知能が高いだけでは賢くないということか。

ユーラスの計画に加担することで、モリアーティは死後の楽しみをみつけたのだ。自分の死後、シャーロックがモリアーティの録画を見たときの顔を想像して、にやにやしていたんじゃないだろうか。でも、シャーロックがメアリーに撃たれて瀕死のとき、シャーロックを死の世界へ呼ぼうとしていたモリアーティはまったく楽しそうではなかったけど。自殺願望があったのに、死の世界は思ったほど楽しくはなかったのかもしれない。

ユーラスとモリアーティの大きな違いは、生きることに対する欲の強さ。退屈な世界をただ生きているだけのモリアーティに対して、ユーラスは生きることに執着があった。そうでなければ、シャーロックに助けを求めたりしなかった。

 

ユーラスはシャーロックに素直に「助けて」と言えなかったのだろうか。

 彼女はフェイス・スミスに変装して221Bでシャーロックと会っている。そのときシャーロックに言った

 「You're my last hope.」

という言葉は本音だったのかもしれない。

大事に思う相手にさえ、別人になってしか本音を言えないなら寂しい。

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シェリンフォードでユーラスは、シャーロック、ジョン、マイクロフトの3人に対し、いくつかの実験をする。人の命を粗雑に扱うその実験は3人にとって過酷なもので、ユーラスは3人が実験を進めるためのモチベーションを維持するため、飛行機に乗った女の子が助けを求める声を聞かせている。

マイクロフトは、その女の子がユーラスだと感づいていたようにも見える。マイクロフトは3人の中で1番ユーラスのことを知っているし、子どものユーラスが赤ひげをどこかへ隠した理由もわかっている。

感づいていながらそのことを言わなかったのは、そこまで妹を追い込んでしまったことに対する責任を感じていたんだろう。ユーラスが、マイクロフトとジョンのどちらかを選ぶようシャーロックに指示したとき、自分を撃てと言ったのもきっとそのため。

それと妹に対する愛情もなかったわけではない。

それは、すべて終わってユーラスがシェリンフォードへ連れ戻された後のホームズ家の会話で

「whatever she became,whatever she is now,Mycroft,she remains our daughter.」

と言った彼らの父に、マイクロフトが

「And my sister.」

と答えたことからもわかる。溶けないiceではないのだ、彼も。

 

シェリンフォードでシャーロックたちがモリーのだと思った棺は、実はユーラスが自分のために作ったものだったかもとも思う。このままだと飛行機は墜落するという恐怖、死への覚悟。それともあれはやはりモリーのもので、モリーに対する嫉妬からだろうか。

 

ユーラスがしてきたことは、シャーロックをシェリンフォードに呼び寄せるためにしたことで、それはただ自分に気づいてほしかったから。

不安。嫉妬。愛情。孤独。
感情が人の判断を狂わせると言いながら、ユーラスは自分の感情に振り回されていた。コントロールすることもできず、その表し方もわからなかったのだと思う。子どもの頃のように。

ずっと不在とされていたユーラスの存在が戻り、これからはホームズ家のどこか欠けていた家族の形がまた別の形へと変わっていくのだろう。

 

 

「東の風」と言えばドイルの原作では、『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』に出てくる。

 ・・・ホームズは月光に照らされた背後の海をゆびさし、感慨をこめて首をふった。

「東の風が吹きはじめたね、ワトスン」

「東からじゃないだろう。とても暖かいよ」

「ああワトスン!”きみは移り変わる時の流れに流されない、一個の確固たる定点だ”。・・・」

シャーロック・ホームズ最後の挨拶』創元推理文庫 深町真理子

訳注によれば

イギリスでは”東の風”は北海を超えてくる冷たい風で、ホームズはもとより比喩的な意味で使ったのだが、ワトスンは字義どおりに受け取った。いかにも”定点”のひとらしい、昔ながらのワトスンのそのままの姿がここにある。

 私はこの場面がとても好きです。ホームズシリーズの中でも1番好きかもしれない。知り合ってから何年も経ち、会わない期間もあり、それでも変わらない2人の関係が伝わってくる。

 

 

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