糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

1人の孤独と誰かといるときの孤独

再放送中のドラマ『SHERLOCK』シーズン2エピソード3を見て、「孤独」というものについて思うことがあったので書いてみます(『SHERLOCK』の考察については、別の日にまとめたいと思います)。

 

1人でいる孤独は、最初からさびしいとわかっている。一緒に話したり笑ったり悲しんだりしてくれる相手がいない、取り残される孤独。

人と一緒にいるときの孤独は、それとはまったく違う。人に理解されない孤独。親しい相手といるときほど深くなる。それを解消するのは難しい。というか、ほぼ無理なのではないかと思う。人が誰かを完全に理解することなんてないし、誰かに完全に理解されることなんてない(完全に理解されてしまったら、やりづらいことだって多々あるんじゃないだろうか)。

 

「Alone protects me.」

シャーロックのセリフ。誰かと理解しあいたいという期待が裏切られ続けたり、あまりにも理解不能な人と出会ったりすると、私も思う。ああもう1人でいい。人と一緒にいるのは、その相手のことを好きでも嫌いでも、とてもエネルギーを使う。

 

「誰も私を理解してくれない」と暗い部屋の中で何時間もひざを抱えた10代の頃から、もう随分な時間が過ぎた。今は理解されないことに慣れてしまった。他人を理解できないことにも。しかたないじゃない、と思う。

理解できないなんてわかっているのだから、どうでもいい他人とは理解しあわなくていい。でも、理解したいと思う人と出会ったときは、その気持ちを持ち続けるようにしている。それをなくしてしまったら、その人との関係は続かないから。

 

本当は、シャーロックのセリフには共感する。他人と理解しあうという決してできないことにエネルギーを使うより、他のことをした方がいいのかもしれない。

ジョンのように

「Friends protect people.」

 とは今の私は言えない。1人の孤独と、誰かといるときの孤独、その2択がすべてとは思わない。けれどどちらかを選んで生きていくとしたら、どちらの生き方もあると思う。

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