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糸をほぐす

頭の中のからまった糸をほぐすように、文章を書いています。

『君の名は。』を見て

映画

www.kiminona.com
ちょっとネタバレあります。



映画『君の名は。』を見てきた。
評判がよかったので期待していたけれど、率直に言うとものたりなかった。なんとなくしっくりこないまま終わってしまった。

TVなどで流れていた宣伝は恋愛映画を想像させるものだった。たしかに恋愛という軸もあるのだけど、メインはそこではない。
田舎に住む三葉と東京に住む瀧は、夢の中で心が入れ替わる。なぜ入れ替わるのか、その理由がこの映画の主軸だ。
ある日を境に突然、2人は入れ替わることがなくなる。瀧は三葉がどうしているのか知りたくて、夢の中の記憶をたよりに三葉を探す。そして現れる真実。入れ替わりの理由。

しっくりこなかった1つめは、この理由に気づくシーンがあんまりさらっと描かれていて、理由を聞いたときに「だからここまでの流れがあったんだ」と納得できなかったこと。「その理由は本当にあってるの?」という疑問を結局映画の最後まで持ち続けることになった。
この理由をちゃんと受け止められるかどうかで、その後の展開での感動に差が出てくるんじゃないだろうか。

しっくりこなかったのはもう1つ、2人の間にはもともと何か深い絆があると思わせる伏線があったこと。それは、あちこちでさりげなく出てくる「かたわれ」というキーワード。男女間で「かたわれ」と来たら、それはもう、2人で1人、分かちがたい存在という意味じゃないか。
「かたわれ」という言葉が出てくるシーンを整理。
1、三葉の住む地域には「かたわれどき」という方言がある。これは「たそがれどき」のこと。
「誰そ彼(たそかれ)」は「彼は誰(かはたれ)」と言っていた時代もあり、「かたわれ」はこの言い方が変化したものらしい。三葉の通う高校の古文の授業でこのことにふれられている。その後四葉もこの言葉を口にしている。
2、三葉の家は代々神職についていた。祭りごとは今も残っているが由来は今ではわからない(この由来は入れ替わりの理由につながっている)。巫女が踊り、コメを口の中に入れかみ砕いてからどろどろにして口から出したものを保存しておくと、時間がたって酒となる。これが口噛み酒と言われ、その巫女の「かたわれ」だと言い伝えられている。

これだけこのキーワードが出てきたら、2人に絆のあった事実がこれから出てくるんじゃないかと、最後の最後まで思いながら見ていた。が、私の見た限り特にそういう事実は出てこなかった。たぶん「かたわれ」という言葉は、私が思ったのとは別の意味でつかわれていたのだと思う。それともそれほど深い意味を持たせられていない言葉だったのかもしれない。

その他、ストーリーの冒頭に現在のシーンを持ってきたのも、構成としては疑問がある。中盤で三葉たちが奮闘している場面を見ていても、その未来のシーンをすでに見ているから「大変そうだけど結局あのシーンに収束していくんだよなあ」と冷静になってしまった。結果を知らなければ、もっとドキドキしていられたのに。

こうなったらもう、純粋な恋愛ものとしてとらえるべきなのかもしれない。
「忘れちゃいけない人」との運命の出会いはもしかしたら誰にも訪れる(三葉の入れ替わりの理由を考えると矛盾するけどそこは無視)、記憶には残っていなくても会えばわかる、いつか遠い昔に知っていた人との再会。
10代の頃ならトキメいていたかもしれない。だが運命だと思った出会いが無残な恋の終わりに結着するという経験をすでにしているイイ年した大人は、この出会いにもうトキメかない。悲しい。

というわけで、どこに落としどころをもっていけばいいのかわからかった。
かといって駄作かというと違う。映像がとてもきれい。声優さんも上手。大事に作ってきたという作り手の思いが伝わってくる。
ミステリを見るようにいろいろ勘ぐりながら見ると、「こことここの整合性は?」などといろんなところが気になってしまうので、あまり考えず映像と展開を楽しむ映画だと思う。見終わった後に残る疑問をああだこうだ話しあうことも、この映画を「観る」ということに含まれているのだろう。